高淯

北斉の皇族 From Wikipedia, the free encyclopedia

高 淯(こう いく、536年 - 551年)は、中国北斉皇族。襄城景王。高歓の八男[1][2][3]。母は婁昭君[4][5][6]は修延[7]

経歴

東魏の通直散騎常侍・平西将軍の位を受けた[7]元象年間、章武郡公に封ぜられた。驃騎大将軍・開府儀同三司に転じた[7]天保元年(550年)5月に北斉が建てられると、6月に高淯は襄城郡王に封ぜられた[8][9][10]。天保2年(551年)3月2日、晋陽で死去した。享年は16[7]乾明元年(560年)2月、仮黄鉞・太師太尉録尚書事の位を追贈された[1][11][3]。4月16日、鄴城の西北28里の地に葬られた[7]は景烈といった[7]

子がなく、常山王高演(のちの孝昭帝)の次男の高亮が後を嗣いだ[1][11][3]

脚注

伝記資料

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI