高階経敏 平安時代後期の貴族。正四位下・長門守 From Wikipedia, the free encyclopedia 高階 経敏(たかしな の つねとし、生没年不詳)は、平安時代後期の貴族。名は経俊とも記される。常陸介・高階経成の子。官位は正四位下・長門守。 経歴 白河上皇に近臣として仕える一方で、寛治4年(1090年)ごろ相模守を務め、任期後の嘉保3年(1096年)治国の労により従五位上に叙せられ、治部少輔も務めた。 その後、天永3年(1112年)武蔵守、元永2年(1119年)能登守、大治元年(1126年)長門守と受領を歴任し、この間の永久6年(1118年)に正五位下に叙せられている。のち、位階は正四位下に至った。 藤原実兼の次男である通憲(信西)を養子としたが、天養元年(1144年)に通憲は藤原姓へ復姓している。 官歴 時期不詳:従五位下[1] 寛治4年(1090年) 4月9日:見相模守[2] 嘉保3年(1096年) 正月5日:従五位上(治国)[2] 永長2年(1097年) 正月30日:見治部少輔[2] 天永3年(1112年) 正月27日:武蔵守[2] 永久6年(1118年) 2月10日:正五位下[2] 元永2年(1119年) 11月:能登守[3] 大治元年(1126年) 2月24日:長門守[4] 大治5年(1130年) 正月28日:去長門守[2] 時期不詳:正四位下[5] 脚注 [1]宮崎[1990: 110] [2]『中右記』 [3]『大間成文抄』第10上 [4]『二中歴』では3月24日だが、『長秋記』3月7日条に遷任記事あり(宮崎[1990: 263]) [5]『尊卑分脈』 参考文献 宮崎康充編『国司補任 第五』続群書類従完成会、1990年 Related Articles