高龍寺
北海道函館市にある寺院
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歴史
- 1633年(寛永10年) - 松前法源寺(曹洞宗永平寺派)の僧・盤室芳龍が、渡島亀田郡亀田村(現在の万代町・亀田町付近)に創建[1]
- 1706年(宝永3年) - 幸坂下に移転
- 1795年(寛政7年) - 豊川町(旧・地蔵町)に延命地蔵堂創立される[2]
- 1869年(明治2年) - 箱館戦争において、旧幕府軍が箱館病院分院として使用。しかし5月11日(6月20日)の箱館総攻撃の際、乱入した官軍兵により負傷者を殺害・放火され焼失
- 1879年(明治12年) - 現在地に移転
- 1896年(明治29年) - 延命地蔵堂、豊川町(旧・地蔵町)から現在地の若松町(旧・音羽町)に移転[2]
- 1898年(明治31年) - 若松町(旧・音羽町)の延命地蔵堂の法務所化。現・音羽ホール[3]
- 1899年(明治32年) - 現本堂が完成
- 1911年(明治44年) - 東北以北最大といわれる山門が完成
- 2012年 (平成24年) - 本堂・山門など計10の建造物が登録有形文化財となる
文化財ほか
アクセス
関連施設
- 高龍寺音羽ホール(函館市若松町1-1) もと延命地蔵堂。由来所説あり、旧・地蔵町の旧家の邸内にあったものを土地とともに寄付されたもの、「函館沿革史」には1795年(寛政7年)に同寺の末僧豊眼が建立したとあり、「箱館夜話草(1857年)」にはお堂もない地蔵を子供が面白半分で縄で引きずりまわしていた。その際に鼻が欠けたので『鼻かけ地蔵』と呼んだ。その後天然痘の流行でこの辺りの子供達が死亡し埋葬した時に誰かが『鼻かけ地蔵』を子供の墓のところに安置したとある[5]。
- 高龍寺梁川法務所(函館市梁川町19-17) 1921(大正10)年に建立。当時函館は内陸へ向かって街の拡大が続いていたため、この地の布教教化を担わせる役目をもっていた。その後1956(昭和31)年には境内に国の華幼稚園を開設。昭和56年からは毎年一回人形供養を行い、「人形供養のお寺」として知られる。
- 達磨大師上湯川法務支所(函館市上湯川町336) 大正末期に夢の中で達磨大師に出会って帰依した斉藤キワ女史が奈良の達磨寺のような達磨の道場の建立を発願し、1951(昭和26)年に独力で巨大な達磨像や不動明王像、竜神象などを作り上げ、自宅の敷地内に祀っていた手彫りの達磨像とあわせこの地に祀ったもの。没後、1997(平成9)年、高龍寺に寄贈され、法務支所となる。鎮座から64年経った2015(平成27)年には修復が行われ、建立当時の姿を取り戻した。毎年10月5日の達磨忌には高龍寺全僧侶による大祭法要が営まれる。
