魔法の弾丸
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オペラ『魔弾の射手』
このオペラに先んじてドイツで公刊されていた魔弾[1]の説話としては、オットー・フォン・グラーベン・ツム・シュタインが1730年に公刊したものもあったが、直接にオペラの下敷きとされたのは、1811年にヨハン・アウグスト・アーペルとフリードリヒ・ラウン[2][注 1]が幽霊譚のひとつとして公刊したものであった。
ウェーバーの委嘱によりヨハン・フリードリヒ・キントが台本を作成し、そこからウェーバーの意向で冒頭の一幕が削除されて、作曲が行なわれた[3]。
ただし、このオペラにおける魔弾は、7発のうち6発が射手の意図通りに当たるが、1発は悪魔の意図したところに当たる、と設定されている。
エールリヒの「特効薬」
その後、射手の思い通りに、意図した標的に当たる弾丸という意味から、ドイツの細菌学者パウル・エールリヒが、副作用なしに病原体のみに薬効が及ぶ特効薬、といった意味合いで、20世紀初頭から魔法の弾丸(ドイツ語: Zauberkugel)を用い、化学療法の概念として医学、薬学などの分野でこの意味が広く定着していった[4]。例えば、抗生物質は、魔法の弾丸のコンセプトを実現した例と見ることができる[5]。
この意味での英語の表現としての魔法の弾丸(英語: magic bullet)は、1930年代にサルファ剤の開発が進み、第二次世界大戦などの戦場で負傷者の救命に活用されたことを契機として普及が進んだ[6]。1940年には、エールリヒの実話を基にした伝記的映画が米国で制作され、一定の成功を収めてアカデミー賞にもノミネートされたが、その原題は『Dr. Ehrlich's Magic Bullet』(「エールリヒ博士の魔法の弾丸/特効薬」の意)であった(邦題は『偉人エーリッヒ博士』)。
コミュニケーション・モデルの「弾丸理論」
ケネディ大統領暗殺事件の「魔法の銃弾」
1963年のケネディ大統領暗殺事件の検証に当たったウォーレン委員会(リー・ハーヴェイ・オズワルド単独犯行説をとった)は、実際に大統領たちに浴びせられた銃弾が何発であったのかが議論される中、オズワルドが発射した3発のうち、証拠物件399として押収された弾丸が、ジョン・F・ケネディと同乗していたジョン・コナリー知事に合わせて7か所の傷を負わせたという判断を示した。このため、この銃弾は魔法の銃弾(英語: Magic Bullet)と通称されることになった[9]。
受粉の「魔法の銃弾」
植物の受粉において、同じ種の別の花まで確実に花粉を運んでくれる生物を「魔法の弾丸」と表現する。例えば、マダガスカル島のランに対する、マダガスカル島のガが「魔法の弾丸」である。[10]
都合よく存在してくれないもの
「魔弾」が登場する創作作品の例
- 魔弾の射手 - ウェーバーのオペラ
- 魔弾 〜Der Freischütz〜/LOVE SAVER - 上記をモチーフとしたT.M.Revolutionのシングル
- 魔弾の射手 (漫画) - 青池保子作
- 魔弾戦記リュウケンドー - 特撮テレビ番組
- 百発百中 - 別名「魔弾のポルカ」
- BLOODY MONDAY - 漫画、テレビドラマ:作中登場するテロ組織名が「魔弾の射手」と名付けられている
- HELLSING - 平野耕太作 ナチス残党「最後の大隊」の構成員リップヴァーン・ウィンクルの能力として
- メルヘン・メドヘン-登場人物の一人、アガーテ・アーリアが契約する原書として登場する。