龍草廬
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経歴
山城国伏見に生まれる[2]。10代で父と死別し窮地に陥るが、学問に勤しみ、荻生徂徠や太宰春台の学問や兵法・楷篆・和歌・和文などを広く学んだ[2]。草廬は一時期、賀茂真淵に入門して国学を学び、龍公美の名で和文の執筆にも励んでいた[3]。20代半ば、京都烏丸に私塾を開き、後に詩社幽蘭社を主宰し、大江玄圃・柳延遠・岡崎廬門などを輩出した[2]。1754年(宝暦4年)、30代半ばまでの作品345首を5巻3冊に集成した『草廬集』初編、幽蘭社構成員や知友67名の詩文を7巻2冊に収めた『金蘭詩集』などを刊行[2]。1756年(宝暦6年)、彦根藩家老岡本半助の推挙によって彦根藩儒となる[2]。1774年(安永3年)に致仕し、翌年帰京[2]。