受肉
キリスト教の教義の一つ
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訳語
概念
公会議
アレクサンドロス、アタナシオス、および他のニカイア公会議に出席した教父たちによる〈父と子は同質で、永遠に共存した〉という教えが、最終的に正統の教義と定義された。
東方正教会とビザンティウムのカトリック教徒
西方古代シリア教会
西方古代シリア教会すなわち古代シリア正教、マランカラ正教、シリアマランカラ・カトリック教徒、古代シリアカトリック、およびマロン派カトリック教徒は主として、聖ジェイムス(60年ごろ)の聖餐クルボノを祝う。その中でアンティオキアの大司教聖セウェルス(465年ごろ-538年)に伝統的に仮託されている詩的な賛美歌「マネート」[9]をささげる。
私は、神にして王たる汝を賞揚する、
神聖な父の、
ただ一人の子にして言葉
生来不滅なりて、救済のために
そして、すべての人類の命のために
汝は優美に降り来たりて、受肉された
聖なる、
輝かしく、純粋な乙女
聖母マリアの中に
そして、どのような変化もなしに人になり、
私達のために磔にされた。
ああキリスト、私達の神、
死を踏みにじり、私達の死を屠殺するもの、
聖三位一体のうちの1柱、
父と聖霊とともに、
拝まれて、尊敬され、
慈悲を私達すべてに抱いている。[10]
ユルゲン・モルトマン
体系的神学での受肉と償いの間のつながりは複雑である。
