昭和20年4月に船越明大尉(当時)は, 中部・近畿地方での防空を担う飛行第56戦隊の飛行隊長として, 伊丹陸軍飛行場に着任した。当時, 同期生で飛行隊長と第一中隊長を兼任していた緒方醇一中佐(二階級特進)は, 1945年3月17日未明の第一次神戸大空襲において、B-29を1機撃破したのち、もう1機に体当たりを敢行してこれを撃墜した。しかし、中佐は妻と生まれて60日の娘を残して戦死。このため飛行隊長が不在になっており、船越明大尉はその後任に選出された。
またこの時期、戦隊長・古川治良少佐(陸士50期)率いる本隊は、3月31日から航い号戦策に基いて三式戦闘機27機で蘆屋陸軍飛行場(福岡県)に展開し, 第12飛行師団 (日本軍)の指揮下に入った。4月29日には第二中隊長の永末昇大尉ら4名を, 三式戦闘機二型の伝習教育のため先に伊丹陸軍飛行場へ返したのち,17機で佐伯海軍航空基地(大分県)に前進した。これは、足摺岬に集合するB-29編隊を攻撃するためであった。ちなみに, 1945年4月18日の大刀洗(福岡県)上空での迎撃戦では, 古川治良少佐が戦隊長編隊3番機の吉野近雄軍曹(下士官91期)を失いつつも, B-29を確実撃墜している。