茜社
三重県伊勢市豊川町に鎮座する神社
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概要
信仰
祭神
境内社
被合祀社
歴史
創建は一条天皇の御世以前、すなわち986年より前とされる[12]。古代には外宮摂社として祀られていたが、時代の変遷により産土神へと変化していった[12]。当時は「赤畝社」や「赤うね明神」などと呼ばれていた[5]。文化・文政期までは石壇のみで社殿はなかったが、この時期に初めて小さな祠が建てられた[9]。「茜社」となったのは江戸時代から明治時代と推定される[12]。明治4年11月2日(グレゴリオ暦:1971年12月13日)、村社に列格した[9]。
明治5年6月(グレゴリオ暦:1872年7月)、教部省は『延喜式神名帳』および『延暦儀式帳』に記載のない神社を一律に神宮の所管から外し、度会県および三重県管轄に移行したため、茜社も神宮所管から離れることとなった[13]。一方神宮側は、茜社と皇大神宮(内宮)宮域にある大山祇神社を神宮の所管に復帰すべく、神社局と内々に折衝を開始した[14]。これは、両社が神苑の中央付近にあり、神宮にとって重要な場所であることと、紅白の幟や傷んだ鳥居などが林立する光景が神苑の景観を損ねているという理由からであった[14]。茜社の氏子は神宮所管に復帰することを承服しなかったが、大山祇神社は氏子から願い出て、境内社の子安神社とともに神宮所管に戻った[2]。櫻井勝之進は茜社が神宮に復帰しなかった理由として、境内社で稲荷信仰が盛んであったからではないかとしている[15]。
1952年(昭和27年)に宗教法人格を取得し、完全に神宮から独立する[3]。2007年(平成19年)5月25日、神宮式年遷宮の祭事の1つお木曳において、豊栄会がお木曳車を曳き始める場まで運ぶ「上せ車」は、茜社から出発した[16]。