詰所
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概要
東本願寺周辺の詰所
京都東本願寺周辺には、富山県詰所・詰所飛騨・となみ詰所・東浅井詰所・伊香詰所など[1]がある。これは、東本願寺の創建以来、度重なる火災によって被災したことと関係している。その度に各地の門信徒が本山に集まり、伽藍の再建に尽力した。その際の拠点が各地の門信徒によって作られた詰所であった。詰所関係の文書では、文政年間のものが伝わっている。それによると、当時は63軒の詰所が東本願寺の門前に存在したということがわかる。詰所の軒数は、昭和の初めに40軒、1969年段階では22軒に減少した。すでに経営の形態も雑多となっており、当初の輪番制の門信徒直接経営だけではなくなっていたが、各詰所では伝統的な十日講、二十五日講の行事が執行されていた[2]。現在はその地方在住者に限らず、外国人も含め誰もが気軽に泊まれる宿泊施設となっている。
「おこや」
詰所は、別名で「おこや」とも呼ばれていた。これは、詰所に滞在していた門信徒が、東本願寺に参拝したり、法話を聴いたり、経本を読んだりする日を、月ごとに定めていて、それを十五日講、二十日講と呼んでいた。その講に集まる人たちが、宿泊するのに便利なよう、出資しあって建てたのが、詰所であった。そのため、「お講屋」、なまって「おこや」と呼ぶようになったのである。1969年当時、滋賀県、岐阜県、愛知県、石川県、富山県、新潟県の詰所が残っていたが、すでに減少傾向にあった。[3]