MB-1 (航空機)
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開発・設計


第一次世界大戦に参戦したアメリカは、参戦時点で自国開発の大型爆撃機を保有しておらず、急遽イギリス製のハンドレページ O/400とイタリア製のカプロニ Ca.33爆撃機のライセンス生産を計画するとともに、国産の大型爆撃機を求めていた[4]。
これに応じたのがグレン・L・マーティン・カンパニー(マーチン)で、1918年8月15日に初飛行を成功させ、9月には軍の試験を受けるべくオハイオ州デイトンのマクック飛行場へ機体を飛行させた[2][3]。ちなみに、この到着は軍の指定していた締め切り日より早かったため、大戦の緊張下で予想外の大型機着陸に混乱した保安要員により、乗員が一時拘束されるという出来事が発生している[3]。試験結果は良好と判断され、陸軍は1918年10月にGMBの名称で量産契約を発注した[1][2]。なお、機体名称は後にMB-1に改称されている[1]。
MB-1(GMB)はハンドレページ O/400を小型化したような外観の機体で、爆撃機の名称だが主任務は偵察とされ、爆撃は副次任務であった[1][2]。エンジンは400馬力のリバティ12A 液冷V型12気筒エンジンを2基搭載しており、最大速度は海抜高度で時速169キロメートル、航続距離は627キロメートルである[1][2]。
武装は任務により異なり、夜間爆撃任務の場合は3丁のルイス機関銃を装備して爆弾約1,500ポンド(680キログラム)を搭載する[5]。昼間爆撃任務の場合は追加で2丁のルイス機関銃が装備され、夜間作戦時よりも高い高度を確保するため爆弾搭載量は約1,000ポンド(454キログラム)に減少した[5]。偵察任務の場合は、5丁のルイス機関銃と2台のカメラ(1台は近距離撮影用の半自動式、もう1台は長距離撮影用の手動式)を搭載した[5]。
運用

当初の製造数は6機で、その後50機の追加量産を行うという契約であったが、まもなく大戦の休戦が成立したことにより、発注数は10機に大幅削減された[1]。大戦中に完成した機体は9機のみで、最後の1機は1920年2月に納入された[1][2]。大戦後、一部の機体は試験用に改造が施され、機首に37ミリ機関砲を搭載したGMC(Glenn Martin Cannon)と呼ばれる機体(機体番号:AS 62951)や、機首に追加のエンジンを搭載して3発機とした機体(AS 39059)が作られている[2][5]。
発注数が大きく減らされたことから、マーチン社はアメリカ海軍と郵政省からも小規模な受注を取り付けている[3]。郵政省では大きな貨物搭載量と長大な航続距離に着目し、郵便機として6機を購入したものの、予算不足の航空輸送サービスにとっては機体が高価すぎ、また離着陸に長い滑走路が必要だったため郵便機としての実用性にも乏しかったため、導入は失敗と判断されている[6]。
生産数は22機であった[2]。