X/1106 C1
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| 1106年の大彗星 Great Comet of 1106 | |
|---|---|
| 仮符号・別名 | X/1106 C1 |
| 発見 | |
| 発見日 | 1106年2月2日 |
| 発見者 | 不明 |
| 軌道要素と性質 元期:1106年2月26日[1] | |
| 軌道長半径 (a) | 91.6 au(A), 103.7 au(B) |
| 近日点距離 (q) | 0.005 AU (1.1 R☉) |
| 離心率 (e) | 0.99994 |
| 公転周期 (P) | ~748.04 年 |
| 軌道傾斜角 (i) | 144.54 ° |
| 近日点引数 (ω) | 84.689 ° |
| 昇交点黄経 (Ω) | 5.8213 ° |
| 前回近日点通過 | 1106年1月26日 |
| 次回近日点通過 | 1843年2月27日[注釈 1] |
| ■Template (■ノート ■解説) ■Project | |
X/1106 C1は1106年2月2日に出現し、同年2月から3月中旬にかけて世界各地で観測された彗星。1106年の大彗星として知られる。ウェールズ、イングランド、日本、高麗、北宋、大陸欧州、エジプトの天文家による観測記録が残っている。
多数の破片に分裂したことが観測されており[3]、それらは1843年の大彗星をはじめ、SOHOによって発見されたいくつかの小さいサングレーザー彗星となった[2][4]。X/1106 C1はクロイツ群に含まれる彗星で、それ以前に存在していた150キロメートル級の大彗星が分裂したサブフラグメントIとして知られている。分裂前の大彗星は紀元前371年の大彗星ではないかと考えられている[5][6][1]。
ブリテン島
ウェールズの『諸侯たちの年代記』に、以下のような短い記述が見られる。
[-1106] この年、非常に美しい星が観測された。柱のような太さととてつもない輝きを持った光線を自らの後方に放ち、それは未来に訪れる事の前兆であった。ローマ皇帝ハインリヒが力強い勝利とキリスト教徒としての最も敬虔なる人生を経て安息の眠りに就き、彼の息子が皇帝の座を勝ち取った[7]。
『アングロサクソン年代記』1106年の記録にも彗星に関する記述が見られる。
四旬節の最初の週、2月16日金曜日、夕刻。異常な星が現れた。これより長くの間、毎夕その輝きが続いた。その星は南西の方角に現れた。星は小さく暗いものの、そこから放たれる光線はとても明るく、北東に向かう巨大な梁のようであった。そしてある日の夕刻、この梁は星と反対側からいくつもの筋に分裂したように見えた。
日本
藤原宗忠による日記『中右記』嘉承元年[注釈 2]旧暦1月4日から同月24日にかけて[8]奇星が観測されたことが記されている。
[4日]今夕當天西方奇星出、漸欲入西山之間、其光如白雲引渡天、萬人見者爲太恠歟
[5日]夜前之奇星出天、如白雲氣渡天如夜前
[6日]去夜奇星又出、但随日数頗長増氣
[7日]奇星出天如日者、雲睛天末星芒渡漢、見者莫不驚歎(中略)奇星已入西山、司天未奏、不知何星、連夜渡天、人以爲太恠
[16日]今夕奇星亘天、日者天變頻以見也
[18日]今夜睛天、日者之奇星殊見、毎有御出此星正現、人人有恠氣歟
[22日]是近日毎夜奇星出天、其前可有御幸者、仍逐電馳参、御出之間也
[24日]今夕奇星頗有氣減、毎夜當西南天此星正現、司天所奏不一定云々
[27日]被定申臨時廿一日社奉幣日時使々、是依奇星恠被行者、予言定文、
さらにこの彗星を凶兆として、4月9日に長治から嘉承への改元が行われたことが記されている[9]。
又仰云、在良朝臣所撰申之年号、以嘉承可用也、詔書依天喜例可令作者、今年天變呈奇星見、依如此事被改也
中山忠親の『山槐記』は治承2年(1178年)正月の条において、舒明天皇6年(634年)から天養元年(1144年)までの彗星の記録をまとめており、この中に長治3年(嘉承元年)の彗星も含まれている[10]。これによれば彗星は坤の方角に見え、同じ頃に堀河天皇や関白が病に伏したという。
『百錬抄』堀河天皇の条、嘉承元年1月4日にも彗星の記録が残っている[11]。
[嘉承]元年四日。彗星見于坤方。長十許丈。丗余日而滅。
これらの記述は江戸時代の年代記『大日本史』にも引用されている。
中国
北宋の古文書に、以下のような彗星の記録がある。近日点通過後の2月10日に彗星が分裂したことが記されている。
ベトナム
黎朝に編纂された『大越史記全書』に、この彗星に関する記録が残っている。
Bính Tuất, năm thứ 6 mùa xuân, tháng giêng, sao chổi mọc ở phương Tây đuôi dài khắp nơi. |
丙戌の春1月に、西の方角に長く輝く尾を持った彗星があった。 |
エジプト
歴史家のイブン・アル=ダワダリは彼の著した年代記 Kanz al-Durar wa Jami' Al-Gurar (ヒジュラ暦497年、西暦1106年)に彗星を記録している[12]。
وفيها ظهر كوكب عظيم بالشرق أبيض كأنّه القمر، له ذؤآبة من شرقيّه، تقدير طولها مئة وخمسين ذراعا، وله شعاع وضوء كالقمر الزاهر، وأقام يتردّد مدّة أيّام وليال. وكان إذا كان مع القمر يظنّ الناس أنّهما قمران، لولا ما فضل القمر بذؤآبته، وكان من الأعاجيب السمائية |
そしてその頃、巨大な星が東の空に現れた。月のように白く、尾は東へと伸びていた。その長さはおおよそ150キュビットはあった。それは輝く月のように光を放ち、それは何昼夜にもわたって続いた。それが月に近づいた時、尾の有無で月とその星を識別できなかったとしたら、人々はあたかも2つの月があるように感じただろう。それは天界の不思議のひとつであった。 |