にいがた総おどり
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蜑(アマ)の手振り
新潟がまだ、「船江の里」と呼ばれていた約300年昔、新潟に三日三晩踊り明かす祭があり、貧困と災害に見舞われ過酷な地に住む庶民が一年の五穀豊穣と無病息災を願い、祈りを込め踊り明かしたといわれている。 当時の様子は新潟奉行が描かせた「蜑(アマ)の手振り」絵巻物に見ることができる。町中の橋の上で小足駄をはき、樽砧のリズムに合わせて乱舞する自由な踊りの祭であった。
明治に入り、その祭りは祭禁止令により無くなったが、当時の自由な踊り祭を復活させようと2002年に新潟商工会議所をはじめ若者達が中心となり「にいがた総おどり」祭の立ち上げを行う。
「にいがた総おどり」は、様々なジャンルの踊り団体が参加し、願いと祈りを込め自由にアレンジされた踊りの祭典であり、現代新潟の踊り文化を表現する祭となっている。
初代新潟奉行・川村修就が新潟の風土を描かせた絵巻物で、中には6種類の絵が描かれている。下駄総踊りの参考文献となっているのはその中の盆踊りであり、当時の新潟の人々が自由に仮装をして、足に小足駄を履いて踊る様子が描かれている。(新潟市歴史博物館所蔵) 尚、川村修就が新潟奉行を務めたのは、江戸後期の1843年-1852年の期間であるため、蜑(アマ)の手振りに描かれた光景は約300年前のものとは必ずしも一致しない。