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櫓投げ

相撲の決まり手 From Wikipedia, the free encyclopedia

櫓投げ(やぐらなげ)は、相撲日本相撲協会制定決まり手八十二手、投げ手の一つである。

上手櫓

解説

相手を吊り上げながら膝で相手の内腿を跳ね上げて投げる技。投げられる相手が宙に浮き、高く上がるため、豪快な決まり手と称される。体重が軽いとこの技がかけられやすい。

大正後期から昭和初期にかけて活躍した横綱常ノ花や昭和20年代後半から30年代前半にかけて活躍した関脇羽嶋山の得意技だった。非常に珍しい決まり手で、戦後には1975年11月場所9日目に青葉山福の花に決めて以降[1][2]幕内の取組では長らく使われなかったが、2009年7月場所13日目に朝青龍が櫓投げで日馬富士を投げ飛ばし[3]、34年ぶりに櫓投げの決まり手がアナウンスされた[1][2]。その6年半後、2015年11月場所7日目に白鵬隠岐の海に櫓投げで勝っている。

また、2008年5月場所に、安馬(のちの日馬富士)と若ノ鵬の取組で安馬が若ノ鵬をうっちゃりで投げ飛ばし勝った際に、北の湖理事長(当時)[4]初代若乃花北の富士らが「櫓投げ」と述べたことがあった[5]

日本大相撲トーナメント・第三十六回大会3回戦第1試合では白鵬が隆の山に対して決めたが、場内発表はなぜか掴み投げであり、白鵬も「わかってないな…」と不満そうに記者に対して漏らしていた[6]。その後、白鵬は2015年11月場所に隠岐の海に対してこの技を決め、この時は公式記録も櫓投げとなった。

因みに1972年3月場所11日目に行われた琴櫻貴ノ花との対戦では琴櫻が二本を差されながらこの技を打って白星を得ている。ところがその琴櫻は翌12日目の取組で前の山に張り手で気絶させられ、一方的に下手投げに転がって敗れたことで、この一番が「無気力相撲」に該当すると指摘されてしまった。折しも大関陣の無気力相撲に対する批判が強まっていた中、前日と当日とであまりにも相撲内容が異なることが状況証拠となった形で琴櫻と前の山の両人は印象を悪くしてしまった。特に前の山は12日目まで6勝6敗であったところ、13日目から師匠の高砂の判断によって途中休場を喫し、この場所限りで大関の座に別れを告げる経緯を辿った。

1960年の決まり手七十手制定以前は上手櫓下手櫓で区別した。

2008年の書籍『平成大相撲決まり手大事典』では腹櫓突き櫓首櫓胸櫓も櫓投げの一種である旨記載している[7]。これらは日本相撲協会の公式の決まり手にはない。1916年の書籍『実地活用相撲必勝術』でも腹櫓を「やぐら投」と呼んでいる[8]

柔道での櫓投げを試みる青

柔道でも使われるが正式の技名称にはない。柔道の書籍では1930年柔道家尾形源治著『柔道神髄』で紹介されている[9]移腰に分類されたり[10][11][12]フロント内股(フロントうちまた)と呼ばれ、内股に分類されたり、相手の後帯を持てば帯取返に分類されたりしている。

上手櫓

上手櫓(うわてやぐら)は片膝で相手の内股を乗せて跳ね上げ[7]上手投げの様に投げる櫓投げ。1960年の決まり手七十手制定以前は日本相撲協会の公式の決まり手だった。

下手櫓

下手櫓(したてやぐら)は片膝で相手の内股を乗せて跳ね上げ[7]下手投げの様に投げる櫓投げ。1960年の決まり手七十手制定以前は日本相撲協会の公式の決まり手だった。

腹櫓

腹櫓(はらやぐら)は腹にのせて相手を吊り上げ腰を捻って投げる櫓投げ[7]

突き櫓

突き櫓(つきやぐら)は相手が外掛けでもたれかかってきた時、その脚が高すぎれば、そこをとらえて掛けられた脚を腰とともに後にぐいと引くと同時に、両まわしを引きつけ、胸を突きつけて圧力をかけ、しりもちをつかせる櫓投げ。ものを搗く形になる。「搗く」とは杵や棒の先で打って押し潰す意味である。別名搗きやぐら(つきやぐら)[7]

首櫓

首櫓(くびやぐら)は相手の首を抱え相手を引き上げ、体を反り身にして後ろに振り回し投げる櫓投げ[7]

胸櫓

胸櫓(むねやぐら)は胸で相手の体を引き上げるようにして投げる櫓投げ[7]

脚注

関連項目

外部リンク

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