藁の中の七面鳥
アメリカの民謡
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『藁の中の七面鳥』(わらのなかのしちめんちょう、Turkey in the Straw(ターキー・イン・ザ・ストロー))は、19世紀に発表されたアメリカ合衆国のフォーク音楽である。
日本においては、フォークダンスの『オクラホマミキサー』でこの曲が使われることが多く、この曲のタイトル自体が『オクラホマ・ミキサー』であると誤解されることも多い。
この曲のメロディーの当初のタイトルは『ジップ・クーン』(Zip Coon)で、1834年に初めて出版され、ミンストレル・ショーで演奏された。作者は不詳であり、様々な説がある。『藁の中の七面鳥』の詞は、本来は別のメロディーがつけられて1861年に発表されたが、その楽譜の末尾に、歌詞が記載されていない『ジップ・クーン』の楽譜が掲載されていたことから、両者が結びつけられるようになった。
起源
『藁の中の七面鳥』のメロディーは、19世紀にミンストレル・ショーで歌われ、1834年頃に初めて出版された『ジップ・クーン』(または『オールド・ジップ・クーン』)が原曲と考えられている。曲の作者については、この曲を広めたジョージ・ワシントン・ディクソンのほか、ボブ・ファレルとジョージ・ニコルズが自分が作者であると主張していた[1]。
この曲は19世紀の様々な曲と関連があり、それらの曲の起源について広く議論されてきた[2][3]。『ジップ・クーン』の起源と指摘されている曲は、アイルランド、スコットランド、イングランドのより古い曲を基とした19世紀の複数の民俗音楽であり、"Natchez Under the Hill"、"The Old Bog Hole"、"The Rose Tree"、"Sugar in the Gourd"、"The Black Eagle"、"Glasgow Hornpipe"、"Haymaker's Dance"、"The Post Office"、"Old Mother Oxford"、"Kinnegad Slasher"などがある[4][5]。
エロイーズ・ハバード・リンスコットは、この曲の前半部分は、1857年にホレス・ウォーターズが発表したバラッド"My Grandmother Lived on Yonder Little Green"の替え歌であると主張している。"My Grandmother Lived on Yonder Little Green"は、1795年までにイギリスで発表されたバラッド"The Old Rose Tree"の替え歌である[6]。『ジップ・クーン』と"The Old Rose Tree"との関連は疑問視されているが[3]、多くの音楽学者が、この曲が"The Rose Tree"と"The (Bonny) Black Eagle"を複合させたものである可能性を示唆している[5]。そのほか、1820年頃にはフィドル奏者の間でよく似た曲が流行しており、『ジップ・クーン』のメロディーは、"Rose Tree"から派生した"Natchez Under the Hill"に由来している可能性がある[7][8]。
『藁の中の七面鳥』の詞およびタイトルと『ジップ・クーン』のメロディーは、奇妙な形で結びつくことになる。ジェームズ・J・フルドによれば、1861年7月12日、ダン・ブライアントが"Turkey in the Straw"というタイトルの新しい詞とメロディーの曲の著作権を取得したが、その末尾に、歌詞が記載されていない『ジップ・クーン』の楽譜が"Old Melody"のタイトルで付け加えられていた。ここから、『ジップ・クーン』のメロディーが『藁の中の七面鳥』の詞とタイトルで知られるようになった[1]。
『ジップ・クーン』

"Zip Coon"または"Old Zip Coon"は、元々はアメリカ合衆国北部において「着飾った自由黒人」を意味する言葉として使われていた[9]。"Zip"とはスキピオの愛称であり、奴隷に対してよく付けられていた名前だった[10]。スチュワート・フレクスナーによれば、"coon"は"racoon"(アライグマ)を略したもので、1832年までには「辺境の田舎者」の意味となり、1840年までにはホイッグ党員を意味するようになった。これは、ホイッグ党員が「白人の田舎者」の象徴としてアライグマの毛皮で作られた帽子を被っていたためである[11][9]。『ジップ・クーン』が作られたのは1830年頃だが、当時「クーン」は一般的に白人を指す言葉として使われていた。明確に黒人に対する蔑称として「クーン」が使われるようになったのは1848年以降のことであるが、これは、この曲『ジップ・クーン』と、ミンストレル・ショーにおける「クーン」という言葉の使用法から発展した可能性がある。
『ジップ・クーン』は最初にボブ・ファレルによって歌唱され、1930年代にジョージ・ワシントン・ディクソンによって広められた[12][9]。このバージョンは1829年から1834年の間にニューヨークもしくはボルチモアで初めて出版された。ディクソン、ファレル、ジョージ・ニコルズの3人がこの曲の作曲者であると主張しており、この論争は未解決である[1]。誤ってオハイオ州の作曲家ダン・エメットが作曲者であるとされることがある[13]。
『ニガーはスイカが好き。ハ!ハ!ハ!』
『ニガーはスイカが好き。ハ!ハ!ハ!』(Nigger Love a Watermelon, Ha! Ha! Ha!)は、『藁の中の七面鳥』の替え歌として1916年にリリースされた楽曲である[15]。黒人とスイカのステレオタイプが盛り込まれたこのタイトルは、「アメリカで最も人種差別的な曲名」として知られる[15][16][17]。
この楽曲は1916年3月にコロムビア・レコードからリリースされた。歌唱は無声映画俳優のハリー・C・ブラウンで[18]、B面にはミンストレルソングの『オールド・ダン・タッカー』が収録された[19]。ブラウンは、バンジョーを演奏しながらバリトンの声で歌い、オーケストラが伴奏した[20]。コロムビアは1925年までこの曲の宣伝を続けていた[21]。この曲の歌詞には人種差別的なステレオタイプが用いられており、スイカが「有色人種のアイスクリーム」であると歌われている[22]。
ラジオDJのドクター・ディメントは、人種差別的な古い曲をラジオで流していたことがあるが、この曲だけは絶対に放送しなかった。タイトル自体に黒人に対する憎悪が込められていると感じたためである[23]。
2014年、セオドア・R・ジョンソンは、アメリカ合衆国のアイスクリームトラックで流されているジングルは、『藁の中の七面鳥』自体ではなく『ニガーはスイカが好き』に基づくものであると主張した[24]。実際には、1916年以前からアイスクリームトラックでこの楽曲が使われていたため、この主張は誤りである[25]。しかし、この主張があったことで、多くのアイスクリームトラックの会社は『藁の中の七面鳥』の使用を中止した。グッドユーモア社はRZAと協力して新たなジングルを制作した[26]。
使用例

- 1928年、ミッキーマウスの初期の映画『蒸気船ウィリー』において、この曲が基調の楽曲として使用されている[27][28][29]。このアニメにおける楽曲の表現は、アニメーション映画における音楽と映像の同期の最初の成功した事例とされている[30]。
- 1990年代のテレビアニメ『アニマニアックス』で、メインキャラクターのワッコが、アメリカ合衆国の50州の州都をこの曲のメロディーで歌った[31][32]。
- 1942年、カントリー歌手のカーゾン・ロビソンがこの楽曲の歌詞を枢軸国に置き換えた替え歌を歌った[33]。
- 1909年、作曲家のチャールズ・アイヴズは、自身の交響曲第2番に、他のアメリカ合衆国の民謡とともにこの曲のメロディーを織り込んだ[34][35]。
- 1912年4月の客船「タイタニック」の沈没事故の際、沈みゆく船の中で楽団が演奏を続けていたが、生存者の証言によれば、演奏された曲の中にこの曲も含まれていたという[36]。
- 1926年、ジッド・タナーとスキレット・リッカーズがライリー・パケットと共にこの曲を録音した[37]。
- この曲のメロディーは、1944年のジュディ・ガーランド主演のミュージカル映画『若草の頃』内で歌われた曲"Skip to My Lou"においてフィドルと口笛により引用されている[38]。
- アイスクリームトラックの多くがこの曲を流している[39]。
- 1953年の『トムとジェリー』の短編"Two Little Indians"において、ジェリーが退却を偽装するために、弓と矢で作ったバイオリンでこの曲を演奏する[40]。
