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アザディスタン

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アザディスタン
آزادستان
ガージャール朝 1920年4月 - 1920年9月 ガージャール朝
アザディスタンの国旗
(国旗)
アザディスタンの位置
アザディスタンの位置
公用語 アゼリー語ペルシア語
宗教 イスラム教
首都 タブリーズ
元首等
1920年4月 - 1920年9月 モハンマド・キヤーバーニー
変遷
樹立 1920年4月頃
崩壊1920年9月13日
通貨イラン・リヤル
時間帯UTC UTC+3:30
現在イランの旗 イラン

アザディスタン(Āzādistān、アザーディスターン、ペルシア語: آزادستان)は、1920年イラン北西部のタブリーズを中心に、モハンマド・キヤーバーニー(Mohammad Khiabani)が樹立した短期間の地方政権である。中央政府の政策と列強の干渉に反発する政治運動として成立したが、同年9月に中央政府により鎮圧され、指導者キヤーバーニーは殺害された。

アザディスタンは、第一次世界大戦後の混乱期において、イラン北西部アゼルバイジャン地域の政治的不満と改革要求から生まれた自治政権である。名称「Azadistan」は「自由の国」を意味し、キヤーバーニーは外国勢力の影響排除と立憲主義の強化を掲げた。独立国家として承認されたわけではなく、数か月で崩壊した短命政権であった。

背景

1919年ペルシア協定をめぐって国内に反発が広がり、立憲革命期から続く改革派と保守派の対立が深まっていた。タブリーズは革命期から政治活動が盛んであり、キヤーバーニーはこの地域の支持を受け、反中央政府・反帝国主義的な運動を展開した。

成立

1920年4月頃、キヤーバーニーはタブリーズで行政機能の一部を掌握し、地域名称を「アザディスタン」とすることを宣言した。政権は出版活動を行い、雑誌『Āzādistān』などで改革主張を広めた。

モハンマド・キヤーバーニー

崩壊

1920年9月、中央政府はタブリーズへ軍を派遣して政権を武力制圧した。キヤーバーニーはこの際に殺害され(自殺説もある)、政権は消滅した。

イデオロギー

キヤーバーニーは地方分離ではなく、イラン国家の改革と自由主義的政治改革を目指していた。彼の運動は立憲革命の延長として評価され、民族独立運動とは区別されることが多い。

遺産

アザディスタン政権は短命であったが、近代イラン史における反帝国主義運動、地方政治の台頭、改革派の抵抗運動の象徴として研究されている。

関連人物

  • モハンマド・キヤーバーニー

関連項目

脚注

参考文献

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