アドロイト級掃海艇
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| アドロイト級掃海艇 | ||
|---|---|---|
| 艦級概観 | ||
| 艦種 | 掃海艇 | |
| 艦名 | 英単語 | |
| 運用者 | ||
| 建造期間 | 1941-1942年 | |
| 前級 | ||
| 次級 | アドミラブル級掃海艇 | |
| 建造 | 18隻 | |
| 排水量 | 295t | |
| 全長 | 173ft 8in (52.93m) | |
| 全幅 | 23ft (7.0m) | |
| 吃水 | 6ft 6in (1.98m) | |
| 機関 | ディーゼルエンジン | |
| 速力 | 16kn | |
| 乗員 | 65名 | |
| 武装 | 3インチ50口径単装砲1門・ボフォース 40mm機関砲1門 | |
アドロイト級掃海艇 Adroit-class minesweeper)および、1944年6月1日より艇種変更したPC-1586級駆潜艇 PC-1586-class submarine chaser)は、アメリカ海軍の掃海艇→駆潜艇の艦級。343隻量産された173フィート型駆潜艇(PC-461級駆潜艇)の掃海艇仕様として建造された。
PC-461級は1938年に計画され、1940年より量産を開始した。本級はその図面を流用し、翌1941年より18隻が量産された。伝統的なアメリカ海軍の掃海艇は、艦隊や輸送船団の先頭で機雷堰を警戒する比較的高速の戦闘艦艇であった。本級はそれらと性格を異にし、近海の航路確保・船団護衛を念頭に置いて運用された。ドイツおよび日本との戦争が現実味を帯びていく中、従来の艦隊随伴用掃海艇はオーク級の量産に着手したところで、近海で活動する沿岸掃海艇の量産も並行することとなった。随伴掃海艇は伝統的に鳥の名を冠していたが、本級は任意の英単語を艇の名とした。英単語名は後継のアドミラブル級だけではなく、オーク級追加量産型にも受け継がれた。
1番艇アドロイト (USS Adroit, AM-82)から7番艇ダッシュ (USS Dash, AM-88)までの7隻は、就役時に始まった日米のソロモン諸島争奪戦に参加し、エスピリッツサント島・ニューカレドニア島を最前線としてポリネシアのアメリカ海軍拠点に配備され、時にはガダルカナル島向け船団の護衛に当たった。一方、8番艇ディスパイト (USS Despite, AM-89)から最終艇フォース (USS Force, AM-99)までは最前線に出ることなく、ニューファンドランド島からアンティル諸島にかけてのアメリカ東海岸沖の哨戒に従事した。しかし、小型・低速の本級は掃海艇としての性能は満足できるものではなかった。1944年6月1日をもって、全18隻は掃海艇の任を解かれ、駆潜艇に変更された。
ただし、PC-1586級駆潜艇に改称すると、一転して最前線の船団護衛に転じた。PC-1593‐1597の5隻はさっそく地中海に派遣され、チュニジア北端のビゼルトを拠点として地中海横断航路の船団護衛に従事した。PC-1598‐1603は改称前から随時太平洋に転出し、先行していたPC-1586‐1592とともにウルシー環礁へ進出した。最終的に硫黄島・沖縄を攻略する船団の護衛にも当たった。沖縄攻略中の1945年5月26日、PC-1603(元フォース)が特攻機の突入を受けて航行不能の大破を被ったのが本級最大の被害である。
1945-47年のうちに随時退役し、例外的に再就役したPC-1590(元コンスタント)が1954年に退役して本級はすべて処分された。