アブド・アッ=ラフマーン・イブン・アブドゥッラーフ・アル=ガーフィキー
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アブド・アッ=ラフマーン・イブン・アブドゥッラーフ・アル=ガーフィキー(?~732年、アラビア語:عبد الرحمن بن عبد اللّه الغافقي)は、アンダルシアのイスラム軍を率いてフランク族と戦ったウマイヤ朝の司令官および総督。732年のトゥール・ポワティエ間の戦いにおいてイスラム軍を率いたことで知られる。カール・マルテルとのこの戦いに敗北したことにより、イスラム勢力の西ヨーロッパへの拡大が阻止された。
アル=ガーフィーキーは730年頃にアル=アンダルシアの総督に任命され。ピレネー山脈を越えてフランク領に数回の軍事作戦を成功させ、ボルドー市の略奪と占領に成功した。市外の戦闘でアキテーヌ公ウードを破り、その後のガロンヌ川の戦いでウードの第二軍を再び破った。ヨーロッパの歴史家たちは「殺された者の数は神のみぞ知る」と記している[1]。彼の軍は現在のフランスの奥地まで進軍し、トゥール市近郊でカール・マルテルの軍と対峙した。アル=ガーフィーキーはこの戦いで戦死し、イスラム軍は撤退した。