アレッサンドロ・ストラデッラ
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幼少期について多くはわかっていないが、貴族の出自で、ボローニャで教育を受け、20歳でスウェーデン女王クリスティーナに作品を委嘱されるなど、早くから作曲家として名を馳せていた。
1667年にローマに移り、とりわけ宗教曲をふんだんに作曲しながら、放縦な生活に走った。悪友とともにカトリック教会の金を使い込んだのが発覚、ローマを逃げ出す。かなり後になって、もう大丈夫だと知りローマに戻る。だが不注意にも、今度は次々にさまざまな女性と関係を持ち、それがローマの権力者の不興を買う結果となり再度ローマを遁走、二度と戻ることはかなわなかった。
1677年にヴェネツィア共和国に行き、さる高貴なる人物により、その愛人の音楽教師に雇われる。おおかたの予想通りに、またしてもその女性と関係を結び、しかもそれが露見したため、またもや逃亡生活に入る。件のヴェネツィア貴族は、殺し屋一味を雇い入れ、ストラデッラを追跡して殺害するように命じたが、ストラデッラは辛くも魔の手から逃げおおせ、今度はジェノヴァでオペラやカンタータの作曲家として活躍をするが、今度も懲りずに女遊びを始めたところを、とうとう暗殺者に押さえ込まれ、そしてあっけなく刺し殺された。
ストラデッラの波瀾万丈の生涯と血まみれの最期は、後掲のリンクにあるように、かなり潤色されているにせよ、それ自体がオペラ創作に恰好の話題を提供してきた。ストラデッラの生涯にまつわるオペラは、3人の作曲家によって別々の作品が存在するが、中でも最も有名なのは、フロトーによる《アレッサンドロ・ストラデッラ》(1844年、ハンブルク)であろう。
