ストリッジョは、宗教音楽と世俗音楽の両方を手懸け、現存する作品はすべて声楽曲であるが、器楽伴奏を用いていないわけでもない。全部で7巻のマドリガーレに加えて、最も有名な作品である2つのマドリガル・コメディ《洗濯女たちの井戸端会議 Il cicalamento delle donne al bucato 》と《狩 La caccia 》を出版している。
ストリッジョ作品によって有名になったマドリガル・コメディは、長らくオペラの前身と見なされてきた。だが現代の音楽学者はこのジャンルを、16世紀のイタリア音楽における様々な風潮の一つにすぎないとし、流行のマドリガーレに劇的な演出を加味したものと解釈している。マドリガル・コメディにおいて、それでも演技は必要なかった。たとえば《井戸端会議》の15曲は、ただただ歌詞と音楽のみで、一つの物語を伝えている。マドリガル・コメディのような娯楽音楽は、同時代のインテルメディオのような音楽形式とさほど懸け離れてはいなかった。
ストリッジョのモテットで最も印象深く、最も重要な業績は、対位法の粋を駆使した上記の《見よ、祝福されたる光が》である。この作品は1568年にミュンヘンで初演されている。いくつかの史料が示唆するところによれば、ストリッジョが1567年の外交活動の際にこれを携えてロンドン入りし、そこでトマス・タリスがこの作品に接した可能性がある。タリスの40声の力作モテット《御身よりほかに希望はなし Spem in alium 》が、この時期の作品だからである(逆に、タリスのモテットがストリッジョを刺激し、鼓舞したとする説もある)。しかし、無伴奏様式のタリス作品とは対照的に、ストリッジョのモテットは、声楽パートに楽器を重ねるように指示されており、ミュンヘン初演の際には、フルート、ヴィオラ・ダ・ガンバ、トロンボーンが8つずつと、通奏低音楽器としてチェンバロとバスリュートが使われた上、10群に分割された4部合唱はそれぞれソプラノ16、アルト10、テノール8、バス6名を配して、弥が上にも壮麗な雰囲気を盛り上げたという。
ストリッジョの影響力が広範囲に及んでいたことは、その作品が16世紀のヨーロッパ全土に出回っていたことからも察せられる。とりわけイングランドでストリッジョの影響は大きく、同地におけるフェッラボスコ親子の活躍と並んで、イングランドにおけるマドリガーレ人気の引き金となったに違いない。