アレバロ
スペインの町
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名称
歴史
711年にベルベル人が襲来してアレバロを占領した。それまで住んでいた住民はイベリア半島北部へ避難し、替わって入植したのはアラブ民族であった。レコンキスタが進行した11世紀、カスティーリャは前線をドゥエロ川付近とし、既に人口がまばらであったアレバロ周辺に再入植を推進した。1135年、アルフォンソ7世はアビラの教会にアレバロを寄進し、1140年、ローマ教皇インノケンティウス2世はアレバロをアビラ司教の所有と認めた。城壁に囲まれたアレバロの内部では、再植民とともに教会、修道院、橋の建設が進められた。フエロ(特権)が授けられたのは13世紀である。
14世紀半ばの第一次カスティーリャ継承戦争の間カスティーリャ王家に忠実であったアレバロは、トラスタマラ朝が始まってから経済衰退が顕著となった。
フアン2世の2度目の王妃であったイサベル・デ・ポルトゥガルは、1454年に夫と死別すると庇護を失い、継子のエンリケ4世の宮廷から追放されアレバロ城へ隠遁した。その際、実子であるイサベル(のちのイサベル1世)とアルフォンソを伴っていた。第二次カスティーリャ継承戦争後、イサベル1世が即位した後も、王母であるイサベルはアレバロにとどまり(精神を病んでいたためとされる)、1492年に亡くなった。
18世紀半ばから経済が復興し、人口が増加した。現在は農業、製材業、観光業を基盤としている。
1970年、12世紀から16世紀にかけてのロマネスク、ムデハルの各様式の建築物を保存していることから、スペイン歴史遺産に指定された。