アンドレイ・リャブシュキン
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略歴
ロシアのタンボフ州の村に生まれた。父親と兄はイコン画家であり、幼い頃から家族の仕事を手伝った。14歳の時、父親を亡くした。村で夏を過ごしていたモスクワ絵画・彫刻・建築学校の学生がリャブシュキンの絵を見て、感銘を受け、リャブシュキンに絵を教え、1875年にモスクワ絵画・彫刻・建築学校に入学するのを援助した。リャブシュキンは、学校の最年少の学生の一人であった。
7年間モスクワで、ヴァシリー・ペロフとイラリオン・プリャニシニコフに学び。最初の大作「農民の結婚式」は、1880年に有名な美術品収集家のパーヴェル・トレチャコフが購入した。ヴァシリー・ペロフが亡くなった後、1882年にサンクトペテルブルクに移り、帝国芸術アカデミーに入学し、パヴェル・チスチャコフに学ぶが、伝統的なアカデミック美術の教育に失望し、アカデミーのライブラリーで過ごしたり、路上でスケッチをして過ごすことが多かった。1892年に卒業し、卒業制作の作品は賞を与えられなかったが、アカデミーの校長を務めていた皇族のウラジーミル・アレクサンドロヴィチ大公が、その才能を認め、私的に旅行や海外留学のための資金を提供することになった。リャブシュキンはイタリアやパリを選ばず、ノヴゴロド、キエフ、モスクワ、ウグリチ、ヤロスラヴリといった歴史のあるロシアの町を巡ることを選び、それらの街の住民を描いた。古い建築や民芸品、武器や、衣装、タペストリーや刺繍、イコンなどを研究し、古文書や、民間伝承も研究した。主に17世紀の一般の人々の風俗を綿密な時代考証のもとで描いたが、同じようにロシアの歴史を題材に描いて人気のあったワシーリー・スリコフのような劇的な歴史エピソードをダイナミックなスタイルで描くことはなく地味な作品の人気はあまり無かったとされる。
1890年、1892年、1894年の「移動派」の展覧会に参加したが、後に退会した。
1890年代は、現在のレニングラード州のリュバン(Lyuban)の友人の邸宅に住みこみ、作品を描いたが、1901年に、リュバン近くのディドヴィノ(Didvino)の村にスタジオを建てた。
ノヴゴロドの聖ソフィア大聖堂の壁画や、サンクトペテルブルクのスパース・ナ・クラヴィー教会のモザイク装飾も制作した。
1903年に結核と診断され、治療のためにスイスに移ったが、効果はなく、1904年にディドヴィノのスタジオで亡くなった。
作品
参考文献
- V.N. Alexandrov History of Russian Art, Minsk, 2004, ISBN 985-13-1199-5
外部リンク
- On-line gallery of Ryabushkin works
- Ryabushkin biography in Russian
- Ðÿáóøêèí Àíäðåé Ïåòðîâè÷ at www.cathedral.ru
- ÐßÁÓØÊÈÍ, ÀÍÄÐÅÉ ÏÅÒÐÎÂÈ× at www.krugosvet.ru
- Topography of mosaics in the Church of Savior on Spilled Blood

