フィッシャーは1978年1月に宇宙飛行士の候補に選ばれた。1979年8月に訓練と評価を終了し、スペースシャトルのミッションスペシャリストとなった。
STS-5からSTS-7までの間、フィッシャーはケネディ宇宙センターで走行車とペイロードの試験を行った。さらにSTS-1から4の軌道飛行試験の打上げ、着陸の際には、医師として救助ヘリコプターで同行した。STS-9では通信管制員を務めた。
フィッシャーはチャレンジャー号爆発事故前に、STS-61-Hのミッションスペシャリストに指名された。事故後、彼女は宇宙飛行士室のミッション開発部門の副責任者となった。1987年には宇宙飛行士選考委員も務めた。
1989年から1996年までNASAを離れた後、フィッシャーは1996年にNASAの宇宙飛行士室に復帰した。復帰後、彼女はオペレーション計画部門に配属され、国際宇宙ステーションの支援のための教育等に携わった。1997年6月から1998年6月には、オペレーション計画部門のチーフを務めた。宇宙飛行士室の改組にあわせ、彼女は1998年6月から1999年6月まで、宇宙ステーションオペレーション/訓練部門の責任者を務めた。次に彼女は宇宙飛行士室の宇宙ステーション部門の責任者となり、40人から50人の宇宙飛行士と支援者の統括を行うこととなった。多くの宇宙ステーション計画委員会や多国間委員会では、宇宙飛行士の代表を務めた。フィッシャーは現在、シャトル部門で技術的な仕事を行っている。