アンリ・デュパルク
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| アンリ・デュパルク Eugène Marie Henri Fouques Duparc | |
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アンリ・デュパルク(1880年) | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | Eugène Marie Henri Fouques Duparc |
| 生誕 |
1848年1月21日 |
| 死没 |
1933年2月12日(85歳没) |
| ジャンル | クラシック音楽 |
| 職業 | 作曲家 |
アンリ・デュパルク(ウジェーヌ・マリー・アンリ・フーケ・デュパルク、Eugène Marie Henri Fouques Duparc, 1848年1月21日パリ – 1933年2月12日モン=ド=マルサン)は、フランス後期ロマン派の作曲家。大部分の作品を自ら破棄したため、歌曲を中心にごく少数の作品しか残されていないが、『旅への誘い』などの残された作品のいくつかはフランス歌曲を代表する歌曲とみなされている。

パリに生まれる。ヴォージラール(Vaugirard)地区にあったイエズス会のコレージュにてセザール・フランクにピアノと作曲を師事する。デュパルクはフランクの最初の作曲の弟子の一人にあたる。
普仏戦争への従軍後、1871年11月9日にスコットランド出身のエレン・マクスウィニー(Ellen MacSwinney)と結婚。同年、カミーユ・サン=サーンスおよびロマン・ビュシーヌとともに国民音楽協会(Société Nationale de Musique)を設立する。ヴァンサン・ダンディとも交流が深かった。
1885年、37歳の時に突然作曲ができなくなる。診断は「神経衰弱」(Neurasthenia)であった。その後は家族との時間や、絵画制作に没頭するが、20世紀に入ると次第に視力が失われていく。ただしその後も管弦楽などの作曲や編曲は細々と続けており、1911年の『星たちへ』の改訂が確認できる最後の創作活動である。
晩年は主にスイスのヴェヴェイ近くにあるラ・トゥール・ドゥ・ペイルス(La Tour-de-Peilz)で過ごし、1933年、フランス南西部のモン=ド=マルサンにて没した。85歳であった。
デュパルクはパリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬されている。パリの17区のレヴィ通り近くの一画がデュパルクにちなんで名付けられている。
恩師であるフランクは、自ら作曲した『交響曲ニ短調』を、作曲の筆を折った後のデュパルクに献呈した。


