イワン・マスレニコフ
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初期キャリアと国境・国内軍時代
マスレニコフは1900年9月16日、サラトフ郊外のチャルィクラ村(現在のオジンスキー地区)で誕生した。
1918年、赤軍に入隊し、ロシア内戦では騎兵部隊、騎兵連隊、旅団を指揮し、白軍との戦闘に従事した。1924年8月に全連邦共産党(ボリシェヴィキ)に入党する。1928年からは国境・国内軍に勤務し、第11ホレズム騎兵連隊長としてパミールやカラクム砂漠でバスマチ運動と戦った。1935年にはフルンゼ名称軍事アカデミーを卒業している。
1936年1月、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国内務人民委員部(NKVD)国境軍局戦闘訓練課長補佐に就任した。その後、1937年9月にはアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国国境軍局副局長となり、同年12月から1939年2月まで白ロシアNKVD国境軍局長を務めた。ラヴレンチー・ベリヤがソ連内務人民委員に就任すると、1939年1月から2月にかけて白ロシア第一副内務人民委員を兼任し、エジョフ派の粛清に関与した。1939年2月に軍担当副内務人民委員に任命され、国境軍総局、鉄道施設警備軍、特別重要産業企業警備軍、護送軍、軍事補給部隊、軍事建設部隊の統合を監督した。
独ソ戦での功績
独ソ戦の開戦時、マスレニコフは前線で指揮を執り、以下の要職を歴任した。
- 第29軍司令官(1941年7月 - )
- 第39軍司令官(1941年12月 - )
- 北カフカーズ戦線司令官(1943年1月 - 5月)
1943年7月まで副内務人民委員の地位を維持し、督戦隊の創設者の一人でもあったとされる。その後、正式に赤軍に転属し、以下の職務を務めた。
- 第42軍司令官(1943年12月 - 1944年3月)
- ヴォルガ戦線、南西戦線、第3ウクライナ戦線(1943年5月 - 12月)の副司令官
- レニングラード戦線(1944年3月 - 4月)の副司令官
大戦末期には第3沿バルト戦線司令官となり、ドイツ軍のクールラント軍集団撃滅作戦に参加した。1945年6月からは極東軍副総司令官として、関東軍の撃破に貢献した。
