ハンプシャー州のアルトンに生まれた。はじめ薬剤師であったが、博物書の執筆・刊行に転じて、評判を得た。25歳の時に、『昆虫の収集と保存法』("Instructions for collecting and preserving insects; particularly moths and butterflies")を執筆した。1771年から1777年まで、チェルシー薬草園の実験助手や庭園主任を務めた。1779年にLambethに自らのロンドン植物園を作った。1777年から1798年の間に6巻の『ロンドンの植物』("Flora Londinensis")を出版した。都会の自然を扱った先駆的な著作であったが、経済的には成功を得られなかった。それでも、1787年にボタニカル・マガジンを創刊し、発行を続けた。ジェームズ・サワビーやシデナム・エドワーズ、ウィリアム・キルバーンなどの植物画家による手彩色の版画を掲載したものである。ボタニカル・マガジンはカーティスの没後も友人のジョン・シムズによって発行が継続された。