ウラジーミル・アガペーエフ From Wikipedia, the free encyclopedia 清で撮影(1900年頃) ウラジーミル・アガペーエフ(ロシア語: Владимир Петрович Агапеев、1876年 - 1956年5月6日)は、ロシア帝国、白軍の軍人、参謀本部中将。 軍歴 第1幼年団(幼年学校)、ニコライ騎兵学校(士官学校)、ニコライ参謀本部アカデミー(ロシア語版、英語版)(1901年)を卒業。士官学校卒業後、近衛軽騎兵陛下連隊に配属。日露戦争に従軍し、第3ザアムール旅団参謀長で終戦を迎えた。 1907年~1909年:駐セルビア軍事エージェント(駐在武官) 1909年:駐ベルギー・オランダ駐在武官、大佐 1914年:第10騎兵師団参謀長 1915年:第2近衛驃騎兵パヴログラード連隊長。少将に昇進 1916年:第6騎兵軍団参謀長 1917年:第35軍団参謀長 1917年~1918年2月:ユゼフ・ドヴブル=ムシニツキ将軍指揮下のポーランド軍団参謀長 白軍 1918年春、B.シュテインフォンとアレクセイ・フォン・ラムペが率いるハリコフの義勇軍地下センターに加わる。同年末、エカテリンブルクに移り、義勇軍本部に入った。 1919年1月、第2軍団参謀長に任命。4月、アントーン・デニーキンは、アガペーエフを参謀長として承認せず、エフィモフ将軍と交代した。6月3日、中将に昇進。8月、コンスタンチノープルの連合司令部附属南ロシア軍軍事代表に任命。 1920年3月末、代表を解任され、ルコムスキー中将と交代した。 その後 その後、ユーゴスラビアに亡命し、ロシア全軍連合第4課の活動に従事しつつ、測量軍事大学に勤務した。 1941年、65歳のアガペーエフは、ロシア警備軍団に兵卒として登録された。軍団が東部戦線に送られないことを確信し、1942年秋、オーストリアに移り、チリに移民した。 1950年、アルゼンチンに移り、1956年5月6日、ブエノスアイレスで死去した。 著書 「1914年8月の第10騎兵師団の戦闘に関するケレル伯爵の報告」(軍事選集第6巻、ベオグラード、1925年) 「ロマノフスキー将軍の暗殺」(ベーロエ・ジェロー第2巻、ベルリン、1927年) 典拠管理データベース 全般 VIAF WorldCat 国立図書館 アメリカ ポーランド その他 IdRef Related Articles