紀元前30世紀頃から居住が始まったが、その重要性が増したのはアッカド王朝時代である。交易の中継基地として経済的に繁栄したこの都市には多数の神殿が建てられた。
ウル第三王朝の支配下にあった時代にはウル王ルガルザゲシを称える神殿も存在した。
ウル第三王朝が弱体化するとシュ・イリア(ロシア語版)(イルシュ・イリア)王の下で紀元前2026年頃独立した。独立後のエシュヌンナはしばらくの間都市国家として存続した。
アッシリア商人の台頭などによってメソポタミア地域の経済が発展するにつれエシュヌンナ市も繁栄し、イピク・アダド2世(ロシア語版)の治世下で大きく領土を拡大して周辺のラルサ、バビロン、アッシリアと覇権を争った。この頃に正式に「エシュヌンナ王」や「全土の王」と言うような称号が用いられるようになる。エシュヌンナ法典と呼ばれる法典の制定や大規模な行政センターの建築もなされ、東部メソポタミア最大の大国として繁栄の時代を迎えた。
イラ・カブカブに率いられたアムル人の集団がマリ方面からエシュヌンナの支配域に侵入したものの、イバル・ピ・エル2世(フランス語版)らの奮闘によりこれと対抗し、一時アッシリアを支配したという説もある。アッシリアが強大な王シャムシ・アダド1世の下で拡大した時も、エシュヌンナは大国の一つとして存続した。
だが、バビロン第1王朝の王ハンムラビと数次にわたる戦争を繰り広げた末敗退し、紀元前1762年頃には一時エラムの支配下に置かれた。その後紀元前1757年頃、バビロン軍に包囲され、ハンムラビ王の水攻めによって都市は崩壊し、放棄された。
その後紀元前17世紀に数名の王のもとで復興したが、いずれもバビロンに敗れ間もなく完全に歴史の舞台から姿を消した。