1950年から、死去する1989年に至るまで、マッコイはジョン・エンテンザがロサンゼルスを拠点として出版していた雑誌「アーツ・アンド・アーキテクチュア(A&A)」をはじめ、「アーキテクチャー・フォーラム」、「アーキテクチュラル・レコード」、「プログレッシブ・アーキテクチャー」、さらには「L'Architectura and Lotus」といったヨーロッパの雑誌にもしばしば寄稿した。また、ロサンゼルス・タイムズやロサンゼルス・ヘラルド・イグザミナーといった新聞にも論説を寄せている。
彼女が主筆となった最初の出版物は、1960年の「カリフォルニアの5人の建築家(Five California Architects)」である。この作品によりマッコイは、チャールズ・アンド・ヘンリー・グリーン(グリーン・アンド・グリーン)、アービング・ギル、バーナード・メイベック、そしてロサンゼルスを拠点としたオーストリア出身のルドルフ・シンドラーの5人に焦点を絞り、カリフォルニアにおいて先駆的なモダニズム建築を手がけた建築家たちについて、広く世の中に知らしめたのである。この本に続き、マッコイは、シンドラーの友人で同じく移民であるリチャード・ノイトラや、クレイグ・エルウッドといった、A&A誌がスポンサーとなったケース・スタディ・ハウスに参加したその他の建築家たちも紹介している。
同じころ彼女は、数々の展覧会、特にカリフォルニアのモダニズム建築を紹介する多くの展覧会でカタログの執筆を行う。南カリフォルニア大学やUCLAで講義を行い、リチャード・ノイトラの手になる文書をまとめ、目録としてUCLAのアーカイブに納めた。
カリフォルニアでの仕事としては、1950年代、1960年代にわたり、幾度かイタリアを旅して、イタリアの建築家について広範に執筆を行っており、ロサンゼルス郡美術館(Los Angeles County Museum of Art)で開かれた「イタリアの10人の建築家」と題された展覧会において、キュレーターを務めた。こうした、イタリア建築に関する研究、執筆が評価され、1960年イタリア政府からイタリア連帯の星勲章を受勲した。
マッコイの最後の仕事は、ロサンゼルス現代美術館で開催されたケース・スタディ・ハウスについての展覧会のカタログに寄せたエッセイであったが、1889年、この展覧会の開催を見ることなくサンタモニカで息を引き取った。
彼女の遺した膨大な文献、スライド、写真の数々は、スミソニアン博物館のThe Archives of American Artに納められている。