ザクセンのプラウエンに生まれた。ライプツィヒ大学で医学と博物学を学び、医学の学位を取得した。大学の学長の命令で、北米、南米の植物の調査を命じられ、1823年から1824年までキューバに、1824年から1826年まで、ペンシルベニアで働いた。 1826年に、チリのバルパライソに赴き、そこで数年を過ごし、チリ、ペルー、ブラジルの科学探査を行った。1832年の後半に多くの動物学と植物学の標本を携えてドイツに戻った。1833年にライプツィヒ大学の准教授になり、終生ライプツィヒ大学で働いた。ライプツィヒの科学博物館の設立に貢献し、自らののコレクションは博物館に遺贈された。
南米の4000種の植物を記載し、インカの遺跡も調査した。アマゾン川を、いかだやカヌーでさかのぼり、1542年のスペインの征服者フランシスコ・デ・オレリャーナ、1744年のフランスの地理学者、シャルル=マリー・ド・ラ・コンダミーヌ以来、探検されることのなかったアマゾン川の全流域を探検したヨーロッパ人となった。