軍艦「バウンティ」の士官候補生だったトマス・ヘイワードの助けを借りて、エドワーズは反逆者のうちの数名を見つけることに成功したが、「パンドラ」はイギリスへの帰路、遭難して失われた。エドワーズと部下の士官たちは軍艦「ヘクター」で行われた軍法会議において無罪となった。しかしエドワーズ艦長はその後二度と遠洋航海の命令を受けることはなかった。エドワーズは2、3年『管理艦長('regulating' captain)』(徴兵官)としてアーガイルとハルで勤務したあと、自ら申し出て(といっても回避できない形で)半給休職の身となった。そして1809年に中将に昇進し、最終的には白色艦隊提督としてその経歴を終えた。これはイギリス海軍の士官としては3番目に高い位である。エドワーズは1815年に73歳で亡くなり、ウォーター・ニュートン(スタンフォード近郊のハンティンドンシャーの村)にある聖レミギウス教会に葬られた。
エドワーズの評判と品格はヘイウッド一族によって徹底的に貶められた。彼らは、「バウンティ」の乗員で反乱に加わった士官候補生ピーター・ヘイウッドに対して加えられた極めて過酷な処置について、その親族としてエドワーズを許すことができなかった。それでもエドワーズには、かつて彼の下で勤務した士官の中に忠実な支援者がおり、また、姪によって、ウォーター・ニュートン近郊の田舎道を散歩している「穏やかな老人」としての回想も記録されている。「リンカーン・スタンフォード・アンド・ラトランド・マーキュリー」紙の1815年4月21日の死亡記事によると、エドワーズは「パンドラ」を失った後の、ティモール島までの無蓋ボートでの耐え難い航海のことを、終生苦しみ続けたという。