英国でエベレストへの登頂が初めて具体的に語られたのはいつか?クリントン・トマス・デント(Clinton Thomas Dent)は1885年に著作の中でエベレスト登頂の可能性に言及している。具体的な計画ということでは1916年にアレキサンダー・ケラス博士(Alexander Mitchell Kellas)が著した『ヒマラヤ雄峰への登頂の可能性に関する考察』をあげることができる。さらに実際に遠征隊派遣の機運が高まった直接のきっかけは、1919年にジョン・ノエル(John Baptist Lucius Noel)が王立地理学協会で行った講演である。ノエルは外国人が入ることが許されなかったエベレスト周辺地域を秘密裏に探索し、その報告を王立地理学協会で行ったのだ。講演後のディスカッションの中でエベレスト登頂に関する議論が盛り上がったが、この考えを積極的に支持した人の中にはフランシス・ヤングハズバンド卿やダグラス・フレッシュフィールド(Douglas Freshfield)など英国山岳会の大物たちがいた。
1920年、ヤングハズバンド卿は、チャールズ・ハワード=ベリー大佐に遠征隊長就任を要請し、チャールズ・ベル(Charles Alfred Bell)に入山交渉の許可を得る為のチベット当局との交渉を依頼した。(当時は北側のチベットからしかエベレストに接近できなかった。エベレスト南側のルートを領するネパールが外国人に対して国を閉ざしていたためである。)チベットから入山許可が得られたのは1921年のことであった。
ここで、遠征隊をバックアップするために英国山岳会と王立地理学協会がメンバーを出し合って特設委員会である「エベレスト委員会」を発足させ、ヤングハズバントが委員長になった。