クロピヴニツキー
ウクライナの都市
From Wikipedia, the free encyclopedia
クロピヴニツキー(ウクライナ語: Кропивницький, ラテン文字転写: Kropyvnytskyi [kropɪu̯ˈnɪtsʲkɪj] (
音声ファイル))はウクライナのキロヴォフラード州の州庁所在地である。2021年の人口は222,695人[1]。2016年7月14日をもってキロヴォフラード(Кіровоград)から改称された。
| クロピヴニツキー Кропивни́цький | |||||
|---|---|---|---|---|---|
クロピヴニツキー市役所 | |||||
| |||||
| 位置 | |||||
クロピヴニツキーの位置 | |||||
| 位置 | |||||
| 座標 : 北緯48度30分 東経32度16分 | |||||
| 歴史 | |||||
| 建設 | 1754年 | ||||
| 行政 | |||||
| 国 | |||||
| 行政区画 | |||||
| 地区 | |||||
| 市 | クロピヴニツキー | ||||
| 市長 | アンドリー・ライコヴィチ | ||||
| 地理 | |||||
| 面積 | |||||
| 市域 | 103 km2 | ||||
| 標高 | 124 m | ||||
| 人口 | |||||
| 人口 | (2021年現在) | ||||
| 市域 | 222,695人 | ||||
| その他 | |||||
| 等時帯 | 東ヨーロッパ時間 (UTC+2) | ||||
| 夏時間 | 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3) | ||||
| 郵便番号 | 25000-25490 | ||||
| 市外局番 | +380 522 | ||||
| 公式ウェブサイト : kr-rada | |||||
歴史
市の設立以前、15世紀から18世紀まで、この領土はウクライナ・コサックの領土であった[2]。ウクライナがモスクワ大公国・ロシア帝国によって併合されると、聖エリザヴェータにちなんで命名された聖エリザヴェータ要塞(форт Святой Елизаветы)が建設された。1784年にエリザヴェトグラード(Елизаветград)と命名された。
ソビエト・ウクライナ戦争後の1924年に、同地の出身であるグリゴリー・ジノヴィエフにちなんでジノーヴィエフスク(Зиновьевск)と改称されたが、1934年、ジノヴィエフの失脚に伴い、ジノヴィエフによって暗殺されたとされていたセルゲイ・キーロフにちなんだキーロヴォ(Кирово)に改称された。その後、1939年にソ連とウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国の最高議会の同意に基づき、キロヴォグラード(Кировоград)と改められた。1991年にウクライナが独立すると、ロシア語を公用語から排除した同国の方針に従い、正式な表記はウクライナ語に改められてキロヴォフラードとなった。
キロヴォフラードからの改称
キロヴォフラードと改称された後も、旧称のエリザヴェトグラード(ウクライナ語では「エリザヴェトフラード」となる)などへの名称変更を訴える声が出ていた。
その後、2014年クリミア危機による反ロシアの機運とともに、ウクライナの脱共産主義化を訴える声が一層高まった。2015年5月15日に共産主義・ナチズムプロパガンダ禁止法が制定され、ソ連時代に由来する地名を6か月以内に改称するよう規定されたことから、キロヴォフラードに代わる新名称を巡る議論が高まった。上記のエリザヴェトグラードは国民から76.6%の支持を得たものの、ロシア由来のためヴェルホーヴナ・ラーダは認めないとみられた[3]。同年12月23日にヴェルホーヴナ・ラーダは近くを流れるインフレツィ川に基づく「インフルスク」の名称を提唱[4]。その後、2016年3月31日、ヴェルホーヴナ・ラーダの国家建設・地域政策・地方自治委員会は、キロヴォフラードの近くで生まれた劇作家・俳優のマルコ・クロピヴニツキーにちなんで、「クロピヴニツキー」と改称するよう提唱[5]。この提案は同年7月14日に正式に承認された[6][7]。
ギャラリー
出身者
- グリゴリー・ジノヴィエフ - 革命家・政治家
- ゲンリフ・ネイガウス - ピアニスト
- アンドレイ・カンチェルスキス - サッカー選手
- アフリカン・スピール - 哲学者
- オレクサンドル・シモネンコ - 自転車選手