スペインはエストレマドゥーラ地方の寒村ガリスエラ(今日エスパラゴーサ・デ・ラーレス(スペイン語版)に属する集落)に生まれる。エストレマドゥーラは16世紀に新大陸への移民を多く出した地域である。フランコはセゴビア大聖堂でヘロニモ・デ・エスピナールに師事。エスピナールはビクトリアも師事した可能性がある。フランコは少年時代に、後のメキシコシティの楽長となるラサロ・デル・アラモに出会って意気投合した。
フランコは、おそらく1550年代にヌエバ・エスパーニャに渡ったと思われるものの、グアテマラシティ(1534年設立)の楽長に就任する1573年まで、その活動に関する記録は見当たらない。一連の予算削減によって音楽家への報酬支払いが不可能になると、フランコは1574年に同地を去り、メキシコシティに新設された大聖堂の楽長職に着任1575年、旧友アラモが同職の先任者のひとりであった(1556年〜1570年)。
フランコは非常に尊敬され、誰からも親しまれる人柄だったようだ。1581年には聖職禄として地所を与えられており、同時代の文書は、フランコの模範的な性格や音楽性について多くの紙面を割いている。フランコはメキシコ・シティの財政上の困難な時期にあたる1582年に隠退して、1585年に他界した。亡骸は大聖堂の礼拝堂に埋葬されている。