オスカー・トラウトマン
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ドイツ帝国シュプレンベルク近郊の村シュトラドウに生まれる。法学を学んだ後、ドイツ帝国外務省に入省、1907年から1914年までサンクトペテルブルク副領事を務める。1921年に日本の神戸総領事となり、1922年に東京のドイツ大使館参事官に転じる。1926年から1931年まで外務省東洋局参事官を務めた。
1931年、ドイツ公使として北京市に赴任、中国・ドイツ文化経済連盟委員を兼務。1935年に南京公使に転じた。当時のドイツの東アジア外交は日本と中国の間で揺れており、トラウトマンは「我が国の東アジア外交には名を挙げるべき責任者はいない。時に中国、時に日本の側に揺れ動き、一方に傾くと他方から強烈なぶり返しが来る」と記している(1937年1月27日)。1937年に日中戦争が勃発した時には、駐日大使のヘルベルト・フォン・ディルクセン(英語版)とともに日中の和平交渉の仲介にあたった(トラウトマン工作)。翌1938年に南京から召還され本国に帰国。1939年に臨時退職。1942年に正式に外務省を退官した。退官後は、コットブス郊外の邸宅で著述活動をしていた。1950年にベルリンで死去した。
