オットー・フォン・ギールケ From Wikipedia, the free encyclopedia 生誕 1841年1月11日プロイセン・シュテティン死没 (1921-10-10) 1921年10月10日(80歳没)シャルロッテンブルク職業 法律家オットー・フォン・ギールケ オットー・フォン・ギールケ生誕 1841年1月11日プロイセン・シュテティン死没 (1921-10-10) 1921年10月10日(80歳没)シャルロッテンブルク職業 法律家 テンプレートを表示 オットー・フォン・ギールケ(ドイツ語: Otto von Gierke、1841年1月11日 - 1921年10月10日)は、ドイツの法学者。 19世紀にドイツに発生した歴史主義に基づく歴史法学派のうちゲルマニステンに属し、「ゲルマニスト最後の巨匠」と呼ばれた。彼は、法を言語と同じ様に民族共通の確信である「民族精神」(Volks geist)の発露として捉え、民族の歴史とともに自ずから発展するものであるとして、法とその民族の道徳を一致するものととらえ、同じ歴史法学派のロマニステンを空虚な個人の概念を基礎とする法実証主義として厳しく批判した。人格権(Personenrecht)の概念の提唱者でもある。 略歴 プロイセン王国シュテッティン生まれ。ハイデルベルク大学、ベルリン大学で法律学を学び、ゲオルク・ベーゼラーを師に、1860年19歳で学位論文を書き上げて弁護士に、1865年、司法官試補になる。 1870年ハイデルベルク大学助教授、1872年ブレウスラウ大学教授、1887年ベルリン大学教授、1902年ベルリン大学総長となる。1921年10月10日、シャルロッテンブルクで死去。 著書 『ドイツ団体法論』(Das deutsche Genossenschaftsrecht)全4巻(1868, 1873, 1881, 1913年) 『ドイツ私法論』(Deutsch Privatrecht)。 ギールケ文庫 ギールケの蔵書の一部は第一次世界大戦後、東京商科大学によって購入され、その直後の関東大震災の難から逃れたのち、東京商大の後身校である一橋大学の「ギールケ文庫」として継承されている。 参考文献 勝田有恒、山内進編著『近世・近代ヨーロッパの法学者たち―グラーティアヌスからカール・シュミットまで 』(ミネルヴァ書房、2008年) 関連文献 ウィキメディア・コモンズには、オットー・フォン・ギールケに関連するカテゴリがあります。 川角由和『オットー・フォン・ギールケの法思想と「私法の社会化」 : ひとつの批判的「覚え書き」』 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。表示編集 この項目は、法分野に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:法学/PJ:法学)。表示編集 典拠管理データベース 全般 FAST ISNI VIAF WorldCat 国立図書館 ノルウェー スペイン 2 フランス 2 BnF data 2 カタルーニャ ドイツ イスラエル アメリカ ラトビア 日本 チェコ オーストラリア クロアチア オランダ ポーランド バチカン 学術データベース CiNii Books CiNii Research 人物 ドイッチェ・ビオグラフィー Trove(オーストラリア) 1 その他 SNAC IdRef Related Articles