カエサル (称号)
ローマ皇帝の称号
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概要
「カエサル」と皇帝
共和政ローマ末期に終身独裁官となったユリウス氏族カエサル家出身のガイウス・ユリウス・カエサルは、内戦での勝利を経て事実上の単独支配を確立して帝政の礎を築いた。そして、これを継承して実際に帝政(プリンキパトゥス)を開始したオクタウィアヌス(アウグストゥス)は、カエサルの養子として後継者に指名されていた。このため、「カエサル」の名はオクタウィアヌスの名でもあった。
帝政を確立したアウグストゥスは、自らと同じように後継者を養子として迎えて「カエサル」の名を継承させた。このため、ユリウス=クラウディウス朝の皇帝たちはいずれも「カエサル」の家族名を有していた。こうした経緯から、「カエサル」は皇帝の家族名であると同時に、次第に皇帝そのものを指す一般名詞としても用いられるようになっていった。この用法は、新約聖書においてイエス・キリストが語ったとされる「カエサルのものはカエサルに」という言葉にも見て取れる。ここでの「カエサル(カイザル)」は、具体的には当時の皇帝ティベリウスを指しているが、より広い意味ではローマ皇帝、ひいてはローマ帝国そのものを指していると理解することもできる。このような皇帝を指す一般名詞としての用法は、ユリウス=クラウディウス朝が断絶した後の皇帝たちもまた「カエサル」を名乗ったことから確立されていった。また、皇帝が自らの後継者に「カエサル」の名を与える慣行が続いたことで、この名は次第に皇帝の地位の推定相続人を意味する称号としても用いられるようになった。
その後の「カエサル」
3世紀後半に入ると、皇帝ディオクレティアヌスによって「カエサル」は2人の正帝(アウグストゥス)を補佐する2人の副帝(ふくてい)の正式な称号と定められ、この4人の皇帝がローマ帝国を統治する四分統治制(テトラルキア)という体制が築かれた。四分統治制はディオクレティアヌスの退位後に崩壊したが、「カエサル」の称号は依然として皇帝に次ぐ重要な地位を占めた。
中世に入ってもこの称号はギリシア語化されたカイサル/ケサルの形で用いられ続けた。ただ、11世紀後半のコムネノス王朝の時代に入ると、より上位に位置づけられるセヴァストクラトルとデスポテースという爵位が新たに設けられたため、相対的な価値は低下した。
周辺の言語における「カエサル」
初代アウグストゥス以降のローマ皇帝(西の皇帝と東の皇帝を含む)は、サーサーン朝や中世イスラーム世界などの周辺地域からも「カエサル」と呼ばれていた。中期イラン語ではケーサル(パルティア語: 𐭊𐭉𐭎𐭓 kysr(Kēsar)、中期ペルシア語: 𐭪𐭩𐭮𐭫𐭩 kysly(Kēsar))、イスラーム世界ではカイサル(アラビア語: قَيْصَر Qayṣar、ペルシア語: قیصر Qaysar/Ġeysar ゲイサル(現代)、ウルドゥー語: قیصر; ヒンディー語: क़ैसर Qaisar ケーサル)、トルコ語ではカイセル(オスマン語: قیصر Kayser、トルコ語: Kayser)、教会スラヴ語ではケサリ(教会スラヴ語: Кесарь Kesarĭ、聖書などでの呼称)、英語ではシーザー(英語: Caesar)という。
最終的にローマ帝国を滅ぼしたオスマン帝国では、自らをローマ皇帝の正統な継承者であるとしたメフメト2世やスレイマン1世などの皇帝によって、ルームのカイセル(カイセリ・ルーム、オスマン語: قیصر روم Kayser-i Rûm 「ローマのカエサル」)という称号が用いられていた。
「カエサル」は特にヨーロッパの複数の言語で「皇帝」を意味する言葉の語源となっている。例としては、ドイツ語のカイザーやスラヴ語のツァーリが挙げられる。
