カルル・ダヴィドフ
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ロシア帝国(当時)クルディーガ(現・ラトヴィア領)で音楽愛好家の家庭に生まれる。父親は医師で、素人のヴァイオリン奏者だった。
5歳からピアノを始めるが、10歳でチェロに転向し、モスクワ劇場の首席チェリストのハインリヒ・シュミットに師事する。18歳でサンクトペテルブルク大学で数学を専攻した後、作曲家としての道を究めるべくライプツィヒ音楽院でモーリツ・ハウプトマンに入門するが、22歳の時にはドレスデンで、ボッケリーニ作品の改訂で有名なグリュッツマッハーにも指導を受けた。その後はライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団で正規のチェロ奏者として活躍するかたわら、余暇に作曲を続けた。帰国後にサンクトペテルブルク音楽院チェロ科の主任教授に就任。1870年に後援者より贈られたストラディヴァリウスのチェロは、ジャクリーヌ・デュ・プレの手を経て、現在はヨーヨー・マの手に渡っている。
ダヴィドフの主要な作品に、4つのチェロ協奏曲がある。いずれもメンデルスゾーンやシューマンを手本としたドイツ・ロマン派音楽の流れを汲むもので、スラヴ民族的な表現はさほど目立たない。むしろチェロのための小品が有名で、『泉にて À la fontaine』がとりわけ名高い。
イヴァン・マゼーパを題材にしたアレクサンドル・プーシキンの詩「ポルタヴァ」をもとにオペラを作曲しようとして、1880年にヴィクトル・ブレニンに台本を書いてもらったが、ダヴィドフにオペラ作曲の時間がないとわかるや、ブレニンは台本をチャイコフスキーに渡してしまった。
