カーロ・トゥオミネン
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3000m障害が、現在のように障害物28個、水濠7個と基準が定まったのは1954年からであり、トゥオミネンが3000m障害で活躍していたころは明確なルールがなかった。ベルリンオリンピックが開催される1936年7月には、アメリカのハロルド・マニングが非公認であったが9分08秒2の世界最高記録を樹立した。それでも、オリンピックでは、前回ロサンゼルスオリンピック金メダリストのボルマリ・イソ=ホロをはじめとするフィンランド勢が優勝候補に名を挙げられていた。レースは、フィンランド勢の速いペースにマニングはついていくことができなかった。ただ一人ドイツのアルフレート・ドンペルトだけがフィンランド勢の表彰台独占を阻むのがやっとであった。トゥオミネンは、9分06秒8で、イソ・ホロに次いで銀メダルを獲得した。
1938年の第2回ヨーロッパ選手権は、初めて3000m障害が実施された大会であった。オリンピック連覇を達成したイソ・ホロは出場しなかったが、トゥオミネンは、3位のフィンランドのアルフ・リンドブラッドからも7秒遅れの4位に終わった。
トゥオミネンは、国内では、フィンランド選手権で通算9回にわたり3位以内に入っているが、優勝したのは1937年だけである。1935年には400mハードルで3位となっている。
