Wikiwand AI

ガブリエラ・サバティーニ

アルゼンチンの女性テニス選手 (1970 - ) From Wikipedia, the free encyclopedia

ガブリエラ・ベアトリス・サバティーニ(Gabriela Beatriz Sabatini、1970年5月16日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身の元女子プロテニス選手。1990年の全米オープン女子シングルス優勝者である。

フルネーム Gabriela Beatriz Sabatini
愛称 ガビー
出身地 同・ブエノスアイレス
概要 ガブリエラ・サバティーニGabriela Sabatini, 基本情報 ...
ガブリエラ・サバティーニ
Gabriela Sabatini
2012年のガブリエラ・サバティーニ
基本情報
フルネーム Gabriela Beatriz Sabatini
愛称 ガビー
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
出身地 同・ブエノスアイレス
生年月日 (1970-05-16) 1970年5月16日(56歳)
身長 175cm
体重 59kg
利き手 右
バックハンド 片手打ち
デビュー年 1985年
引退年 1996年
生涯獲得賞金 $8,683,232
殿堂入り 2006年
ツアー経歴・シングルス
ツアー通算 27勝
自己最高ランキング 3位(1989年2月27日)
生涯通算成績 632勝189敗
グランドスラム最高成績・シングルス
全豪オープン ベスト4(1989・92-94)
全仏オープン ベスト4(1985・87・88・
91・92)
ウィンブルドン 準優勝(1991)
全米オープン 優勝(1990)
ツアー経歴・ダブルス
ツアー通算 13勝
自己最高ランキング 3位(1988年7月4日)
生涯通算成績 252勝96敗
グランドスラム最高成績・ダブルス
全豪オープン ベスト4(1989)
全仏オープン 準優勝(1986・87・89)
ウィンブルドン 優勝(1988)
全米オープン ベスト4(1986-89)
獲得メダル
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
女子 テニス
オリンピック
銀1988 ソウルシングルス
閉じる

ボールに回転を多くかけた、重いトップスピン(順回転)のグラウンド・ストロークを得意にした選手だった。シングルス自己最高ランキングは3位。WTAツアーでシングルス27勝、ダブルス13勝を挙げた。

美貌と親しみやすい人柄で幅広い人気を持ち、「ガビー」(Gaby)の愛称で呼ばれていた。

経歴

サバティーニ姓はイタリア南部に起源を持つ。 1985年1月に14歳でプロ入り。その3か月後、いきなり「ヒルトンヘッド」大会でクリス・エバートとの決勝戦に勝ち進み、全仏オープンでエバートとの準決勝に進出した。同年10月に日本の「ジャパン・オープン」でプロ初優勝を果たす。それから4大大会でベスト4の常連になったが、勝負所で精神的な弱さが出て、決勝進出を逃すことが多かった。1988年の全米オープンで初の4大大会決勝進出を果たすが、ライバルのシュテフィ・グラフに競り負け、グラフの「年間グランドスラム」達成を目撃することになった。続くソウル五輪決勝でもグラフに敗れ、銀メダルに終わる。金メダルを獲得したグラフの偉業は「ゴールデン・スラム」と名づけられた。

2年後の1990年に、サバティーニは全米オープン決勝でグラフを 6-2, 7-6 のストレートで破り、宿願の4大大会初優勝を達成した。当時のコーチ、カルロス・キルメイヤーの手ほどきにより、積極的なネット・プレーが功を奏した勝利だった。それからライバルのグラフに5連勝したが、翌1991年のウィンブルドン選手権で3度目の4大大会決勝戦に進出した時、そのグラフに 4-6, 6-3, 6-8 の大激戦で競り負けた。これが結果的にサバティーニの最後の4大大会決勝戦となり、以後は再びベスト4止まりに逆戻りした。

グラフとはシングルスで「11勝29敗」の対戦成績を残し、彼女に10勝以上を挙げた唯一の選手として記録に残っている。またグラフとサバティーニはダブルスでパートナーも組み、1988年ウィンブルドンの女子ダブルス部門で優勝を飾った。

サバティーニはまた、1991年の「バージニア・スリムズ・オブ・ロサンゼルス」大会の準決勝をきっかけに、同じ年に当たる日本の伊達公子選手と対戦する機会も多くなった。1994年11月、伊達が日本人女子選手として初めてWTAツアー選手権(当時の名称は「バージニア・スリムズ選手権」)に出場資格を得た時、準決勝で彼女の前に立ちはだかったのはサバティーニだった。1995年3月の「リプトン国際選手権」準決勝では伊達が 1-6, 7-6, 7-6 の逆転勝利を収めている。

日本の試合ではプロ初優勝となった1985年のジャパン・オープンのほかに、「東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント」でも1987年・1991年・1992年の3度優勝を飾っている。

サバティーニのキャリアに陰りが見え始めたのは、1993年の全仏オープン準々決勝敗退の頃からである。この時サバティーニは若い頃から苦手意識の強かったメアリー・ジョー・フェルナンデス(アメリカ)に 6-1, 5-1 とリードしていたが、ここからフェルナンデスに追いつかれ、その結果 6-1, 6-7, 8-10 で大逆転負けを喫してしまう。サービスの改善がサバティーニの長年の課題であったが、なかなかうまくゆかず、挙げ句の果てに慢性の腹筋痛を抱えることになった。(テニスのサーブは、とりわけ腹筋にかかる負担が大きい。)1996年10月に26歳で現役引退を決断する。11月第3週にアメリカ・ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでWTAツアー選手権が開催された時、サバティーニと伊達公子の2人のために「引退式典」が開かれた。

現役選手時代にはファッションモデルとしても活躍し、自分のブランドの香水も発表している。

2006年7月15日、サバティーニはアルゼンチンのテニス選手としてギリェルモ・ビラス以来2人目の国際テニス殿堂入りを果たした。

4大大会優勝

さらに見る 年, 大会 ...
年大会対戦相手試合結果
1990年全米オープンドイツの旗 シュテフィ・グラフ6-2, 7-6
閉じる

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks