袋小路文

文法的には正しいけれども、誤読が生じやすい書き出しで始まる文 From Wikipedia, the free encyclopedia

袋小路文(ふくろこうじぶん)とは、文法的には正しいけれども、誤読が生じやすい書き出しで始まる文のことである。袋小路文は、読者の構文解析を行き詰まらせたり、本来の文の意図とは明らかに異なる意味に読者を誘い込む。ガーデンパス文ともいう。

このような文は、一見自然な解釈に読者を誘導するけれども、その解釈には文の本来の意味が反映されない。袋小路文は、読み進める過程で複数の解釈が可能な単語やフレーズが含まれているため、一瞬曖昧な解釈を読み手に生じさせ、実際に文が意味することと異なる解釈を読み手に生じさせる。袋小路文は、ひと目見ただけでは非文法的でほとんど意味をなさない文のように見え、意味を完全に理解するためには、注意深く構文解析した後に、再び読み直す必要があることが多い。このような文は文法的には正しいけれども、人間の認知的な情報処理に負荷をかけるため、コミュニケーションの明確性が求められる文章においては、使用を避けるべきだとされることが多い。

「ガーデンパス」とは、 "to be led down [or up] the garden path" という諺に由来する、「騙される」・「騙そうとされる」・「誘惑される」などという意味である。1926年版の『現代英語用法辞典英語版』の中で、知らず知らずのうちに「嘘の香り英語版」をこのような文は漂わせていると、ヘンリー・ワトソン・ファウラー英語版は述べている[1]

日本語

日本語における袋小路文の例として、以下のようなものが挙げられる。

  • 「妹が泣いている兄を慰めた。」

この文を左から右へ読み進めると、最初は「妹が泣いている」という主語と述語の構造として解釈しそうになる。しかし、その直後に「兄を」という目的語が現れることで、構文の再解析を余儀なくされ、「泣いている」のは妹ではなく兄であり、「泣いている」という動詞が「兄」を修飾している(泣いている兄)ことに気づく。

  • 「私が手紙を書いた少女は日本へ旅立った。」

この文も同様に、最初は「私が手紙を書いた」として解釈しそうになるが、「少女は」と続くことで、「私が手紙を書いた」という節全体が「少女」を修飾していたことに気づかされ、再解析が行われる。

また、日本語は主語などの要素が省略されやすい特性を持つため、動作の主体についての読み手の予測が途中で覆されることがある。

  • 「警官が自転車に乗って逃げる泥棒をパトカーで追いかけた。」

この文を読み進めると、最初は「警官が自転車に乗って逃げる」と解釈しそうになるが、後半の情報が現れることで、「自転車に乗って」いるのは警官ではなく泥棒であり、それが「逃げる泥棒」を修飾していることに気づく。

英語

"The old man the boat."

よくある誤った構文解析
正しい構文解析

この文は、心理言語学の研究対象であったり、人工知能の能力を調べるために使われたりする有名な文である[2]。この文を正しく構文解析することが難しい理由は、 old形容詞だと解釈してしまうからである。 the を読むと、名詞か形容詞が続くと予測され、 old の後に man が続くと、 the old man限定詞 – 形容詞 – 名詞 という構造になっていると思い込んでしまう。しかし man の後ろには、例えば The old man washed the boat(おじさんはボートを洗った) のように動詞が続くわけではなく、 the が続くため[注釈 1]、文を再分析せざるを得なくなる[3]。この文は次のように書き換えることができる。

"The old are those who man the boat."
(老人たちはボートを操縦する人たちである)


"The complex houses married and single soldiers and their families."

この文もよく例示される有名な文である[4]。この文を左から右へ読み進めると、最初は The complex houses を主語(名詞句:「その複合住宅は」)として解釈し、続く married をその述語(動詞過去形:「結婚した」)として構文解析しやすい。この時点では「複合住宅が結婚した」という非現実的な意味になるが、文法的な構造としては成立しているため読者はそのまま読み進める。

しかし、その直後に等位接続詞andsingle が現れることで、この解釈は破綻する。and は同じ品詞を結びつけるため、直前の married を動詞とするならば single も動詞として解釈する他ない。しかし、動詞としての single はこの文脈で意味をなさないうえに、時制も一致しない。一方で single形容詞(独身の)と解釈すると、今度は動詞である married と文法的に結びつかなくなる。

この文法的および意味的な行き詰まりにより、読者は再解析を余儀なくされる。single が形容詞であることから、married も動詞ではなく形容詞(既婚の)であり、married and single 全体で後ろの soldiers(兵士)を修飾していることに気づく。それに伴い、名詞だと思い込んでいた houses が、実はこの文の真の動詞(住居を提供する)であると判明する。正しくは、 The complex(名詞句:「その団地は」) houses(動詞:「住居を提供している」) married and single soldiers(名詞句:「既婚および独身の兵士」) and their families(名詞句:「そして彼らの家族に」) と構文解析する。この文は次のように書き換えることができる。

"The complex provides housing for the soldiers, married or single, as well as their families."
(その団地は、既婚であれ独身であれ、兵士とその家族とに住居を提供している)

"The horse raced past the barn fell."

この文は、トーマス・ビーヴァー英語版による典型的な袋小路文である。この文の構文解析が難しい理由は、 raced過去形の本動詞とも受動態過去分詞とも解釈できるからである。 raced を単純過去形の本動詞であると考えて読み進めると、 fell の解釈で混乱し、再び文を分析せざるを得なくなる。 raced は受動態の過去分詞として用いられているのであり、 horse従属節直接目的語といて用いられているのである[5]。この文は以下のように書き換えることができる。

"The horse that was raced past the barn fell."
(納屋を通り過ぎて競走させられた馬が転倒した)

このように書き換えることで、 that was raced past the barn(納屋を通り過ぎて競走させられた) により、どんな馬について文中で説明されているかが明確になる[6]自動詞の可能性がある語による縮約関係節英語版が原因で曖昧な "The horse raced in the barn fell." という文は、非縮約関係節を用いた、明確な解釈が可能な文である "The horse that was raced in the barn fell."(納屋で競走させられた馬が転倒した) という文や、曖昧さのない他動詞を用いた、縮約関係節による "The horse frightened in the barn fell."(納屋で脅された馬が転倒した) という文と比較できる。他の例と同様、誤読に対する説明としては、一連のフレーズが 動作主 - 動作 - 受動者英語版 というよくあるパターンで分析されがちであるという説明がある[7]

その他の言語

中国語

"王老师知道那个学生读的书很多。" (王先生は、あの学生が読む本が多いことを知っている。)

この文を左から右へ読み進めると、最初は "王老师"(主語) "知道"(動詞) "那个学生"(目的語)という自然なSVO構造として解釈され、「王先生は、あの学生を知っている」という意味に捉えられやすい。

しかし、その直後に "读的书"(読む本)という名詞句が現れることで、この解釈は破綻する。「あの学生」を「知っている」の目的語として完結させてしまうと、後ろの「読む本」が文法的に繋がらなくなるためである。

ここで読者は再解析を余儀なくされる。「あの学生」は動詞「知っている」の直接の目的語ではなく、実は後ろの「本」を修飾する関係節の主語(あの学生が読む→本)であったことに気づく。最終的に、動詞 "知道"(知っている)の目的語は特定の人物ではなく、「あの学生が読む本が多い」という事象全体(補文)であると正しく構文解析される。

ドイツ語

"Modern bei dieser Bilderausstellung werden vor allem die Rahmen, denn sie sind aus Holz und im feuchten Keller gelagert worden."

この例は、ドイツ語の "modern" の2つの意味(「現代的な」を意味する形容詞と、「腐る・カビが生える」を意味する動詞)に依存している[8]

前半の「絵画展」という文脈により、読者は文の最後の2語に至るまで、 "modern" を「現代的な」を意味する形容詞として解釈して読み進めやすい。

  • 「とりわけ、この展覧会で現代的であるのは額縁である。なぜなら、それらは木でできており、じめじめした地下室に保管されていたからである。」

しかし、後半の「木でできており、じめじめした地下室に保管されていた」という理由づけを読むことで意味的な矛盾が生じ、読者は文頭の "modern" が形容詞ではなく動詞(腐る)であったと再解析し、後戻りを強いられる。

  • 「とりわけ、この展覧会でカビが生えているのは額縁である。なぜなら、それらは木でできており、じめじめした地下室に保管されていたからである。」

ただし、この曖昧さは文字で書かれた場合にのみ生じる。話し言葉においては、動詞の "modern"(カビが生える)は第1音節にアクセントがあるのに対し、形容詞の "modern"(現代的な)は第2音節にアクセントがあり、発音が明確に異なるためである。

ポルトガル語

"Mãe suspeita da morte do filho e foge."

この例は、"suspeita" という単語が持つ動詞(疑う)と形容詞(疑わしい・容疑者である)の間の曖昧さを利用している[9]

この文を読み進める際、最初は "Mãe suspeita da morte do filho" 全体を主語となる名詞句(息子の死の容疑者である母親)として解釈しやすい。しかし、その直後に等位接続詞の "e"(そして)と動詞 "foge"(逃亡する)が現れることで構文が破綻する。「〜な母親」という主語に対して、"e"(そして)で繋がる述語動詞が存在しないという文法的な誤りが生じるためである。

ここで読者は再解析を余儀なくされる。前半の "suspeita" は形容詞ではなく動詞(疑う)であり、"Mãe"(主語) "suspeita"(動詞1) ... "e"(そして) "foge"(動詞2)という構造であったことに気づく。文の真の意味は「母親が息子の死を疑い、そして逃亡する」となる。

フランス語

"Pendant que Jean lisait la lettre est arrivée." (ジャンが読書している間に、手紙が届いた。)

読者は左から右に読み進める際、"Pendant que Jean lisait"(ジャンが読んでいる間に)に続く "la lettre"(手紙)を、動詞 "lisait"(読んでいた)の直接の目的語として解釈しやすい。つまり、最初は「ジャンが手紙を読んでいる間に」という従属節として構文解析を行う。

しかし、その直後に "est arrivée"(届いた)という動詞が現れることで、この解釈は破綻する。従属節はすでに完結しているはずなのに、主語を持たない動詞が取り残されてしまうためである。

ここで読者は再解析を行い、「手紙」は「読んでいた」の目的語ではなく、実は後半の主節の主語であったことに気づく。"lire"(読む)は目的語を伴わない自動詞(読書する)としても自然に機能するため、正しくは "Pendant que Jean lisait"(ジャンが読書している間に)、"la lettre est arrivée"(手紙が届いた)と区切って構文解析される。カンマを用いて "Pendant que Jean lisait, la lettre est arrivée." と表記することで、この袋小路を回避することができる。

アラビア語

アラビア語では、アブジャドに起因する袋小路文が発生する。アラビア語の表記では通常、母音記号(シャクル)が省略され、能動態と受動態の動詞が全く同じ文字の並びとなることが多い。

"دفع الرجل إلى السجن" (その男は刑務所へと送られた(押しやられた)。)

この文を右から左へ読み進める際、最初は "دفع"(d-f-ʕ)という動詞の語根が現れる。母音記号がないため、読者はこれを一般的な能動態の "dafaʕa"(~を押した、送った)と解釈し、続く "الرجل"(ar-rajul:その男)を主語として、「その男が(何かを)押した/送った」というVSO構造(動詞・主語)として構文解析を行い、次に「何を」にあたる目的語が来ると予測する。

しかし、その直後に "إلى السجن"(ila s-sijn:刑務所へ)という前置詞句が現れて文が終了することで、この解釈は行き詰まる。「刑務所へ押した」では他動詞に対する目的語が存在せず、文法的な欠落が生じるためである。

ここで読者は再解析を余儀なくされ、最初の "دفع"(d-f-ʕ)は能動態の "dafaʕa" ではなく、受動態の "dufiʕa"(送られた、押しやられた)であったことに気づく。それに伴い、能動態の主語だと思っていた「その男」は、実は受動態の主語(動作の対象者)であり、「その男は、刑務所へ送られた」という構文であったと正しく再解析される。文字に書かれていない母音を脳内で補いながら統語構造を構築する、アラビア語ならではの袋小路現象である。

構文解析

ある文を読むとき、単語やフレーズを読者は分析し、構文解析という手段を用いて文の文法構造や意味を推測する。一般的には、文を分割して、それぞれの意味を別々に解釈して構文解析をする。読んでいるうちに情報が増えていくにつれ、読者は文全体の内容や意味を推測していく。文の新たな箇所を目にするたびに、既に解釈した文構造と、文のそれ以降の部分に対する推測とをもとに、文の意味を捉える。意味的に曖昧英語版なフレーズや単語を含む文に、何らかの解釈を読者が与えたにもかかわらず、文全体を読むと、読んでいる途中まで予測していた解釈と読み取られた意味とに齟齬が生じたときに、ガーデンパス効果が生じる。そのとき読者は、文の意味を理解するために、文を読み直して再評価しなければならない。語用論や意味論あるいは言外の文脈を説明する他の要素によって、さまざまな構文解釈や解釈が文に与えられる可能性もある[10]

方略

文章を構文解析する際には、様々な方略がとられ、人間がどの方略を用いているかについては多くの議論がある。方略の違いは、構文や意味が曖昧な文の一部を解析しようと読者が試みた際に生じる影響から確認できる。したがって袋小路文は、どんな方略を人間が用いるかを調べるために用いられることが多い[11]。人間が用いると思われる方略として議論されているものに、直列構文解析と並列構文解析とがある。

直列構文解析とは、文中の曖昧な部分に対して1つの解釈を読者が与え、その解釈による文脈で文の構文解析を進めるものである。曖昧さを解消する情報が得られるまで、以降の構文解析のために最初の解釈を参考にする[12]

並列構文解析とは、文に対して複数の解釈を読者が与え、曖昧さを解消する情報が得られるまではそれら複数の解釈を維持し、曖昧さが解消された時点で正しい解釈だけを残す[12]

袋小路文の再分析

曖昧な名詞が登場する場合、目的語としても主語としてもその名詞は機能しうる。この場合、目的語としての使い方の方が好まれる。袋小路文の再分析は、曖昧な部分が長いほど難しくなることも分かっている[13]

方略

メセグエルとカレイラスとクリフトンとによる2002年の研究論文によると、簡単な袋小路文を再分析した人からは、強い眼球運動が観測されるという。彼らは、フレージャーとレイナーが1982年に説明した選択的再分析方法と一致する2つの方略を、人は用いていると提唱した。彼らによると、簡単な袋小路文を再分析するために、2つの方略を読者は主に用いているという。

  • 1つめの一般的な方略には、曖昧さが文中で最初に解消する部分から、文の主動詞まで視線を直接後戻りさせる方法がある。そして、次の部分と副詞(文の曖昧さが生じる部分)とに目線を固定させながら、文の残りの部分を読者は読み直す。
  • 2つめのあまり用いられない方略としては、曖昧さが文中で最初に解消する部分から、副詞に視線を直接後戻りさせる方法がある[14]

部分的再分析

部分的再分析は、分析が完璧でないときに発生する。よくあるのは、後の文の意味が少しでも分かると、それ以上の分析を読者は中断してしまうことで、文の前半部分が記憶され、忘れられることはないことである。

したがって、再分析後も元の誤った分析が残ってしまい、ゆえに読者の最終的な解釈は誤っていることが多い[15]

修正の困難

袋小路文についての最近の研究では、大人の第二言語学習者を用いて、袋小路文に対する最初の構文解析を修正することの難しさを研究している。袋小路文の処理の際、文の最初の構文解析を読者は行うけれども、その解析が正しくないために、読者は解析を修正しなければならないことがよくある。大人の母語話者とは異なり、最初の構文解析を修正するのは、子どもにとっては難しい傾向がある。この難しさは、子どもの実行機能が未発達であることが原因である。実行機能の能力は、構文解析の修正のために最初の解析を破棄する必要があるときに発揮され、実行機能が未発達であったり損傷していたりすると、この能力は損なわれる。子どもの年齢が上がり、実行機能が完全に発達すると、最初の誤った構文解析を修正する能力が備わる。しかし、修正の難しさは子どもに限ったことではない。大人の第二言語学習者も修正に困難を示すけれども、その困難は、子どものようには実行機能の未発達に起因するものではない。

2005年の研究では、行動のミスと眼球運動とを使って、袋小路文の修正と処理について、大人の母語話者や子どもの母語話者と、大人の第二言語習得者を比較した[16]。参考情報があったりなかったりする袋小路文や、袋小路文の曖昧さを解消した文を、大人の英語母語話者と、子どもの英語母語話者と、英語を第二言語として学習している大人とに見せ、文の内容の行動をさせた。参考情報がある袋小路文を提示されたときには、大人の第二言語学習者は、子どもの母語話者よりも行動のミスが少なく、大人の母語話者も同様に、大人の第二言語学習者や、子どもの母語話者よりも行動のミスが少なかった。大人の第二言語学習者と、大人の母語話者とは、談話分析と参考情報を、袋小路文の処理に役立てることができた。この能力は、大人の発達した実行機能が、談話分析や参考情報などのより多くの認知的材料を、構文解析や修正に役立てるのを可能にしたことによるものだと考えられる。さらに、イタリア語と英語は同じ文構造を持つため、談話分析や参考情報の使用は第一言語からの言語転移によっておこる可能性がある。しかし、袋小路文の曖昧さを解消した文を提示されたときには、大人の第二言語学習者の行動のミスの割合が最も多く、次いで子どもの母語話者、そして大人の母語話者の順となった。この研究の結果、構文解析を修正する困難は、当初考えられていたよりも頻発し、子どもや実行機能が低下した人に限らず発生することがわかった。大人は、母語話者でも第二言語学習者でも、構文解析と文の処理とに、談話分析や参考情報を用いることもわかった。しかしこの研究は、参考情報がない袋小路文に対する、大人の第二言語学習者と子どもの母語話者の行動のミスの割合は同程度であり、修正の規則的な失敗を示している[16]

関連項目

同様の現象

その他

注釈

  1. 各単語を読んだ後の読者の反応の時間を調べた実験では、曖昧性を解消する単語(すなわち theman のあとの washed )を読んだ後の反応時間は、袋小路文のほうが有意に長いことが示された[3]

参考文献

さらに詳しい文献

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