アイルランド・カトリック同盟
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発端
同盟の運営
国王との和平交渉

カトリック同盟は国王との和平を望んだ。両者は交渉のテーブルについたが、互いの主張はしばらく平行線をたどった。これは、以下の要求を国王側が認めなかったことによる。
- カトリック教会の財産権を保証すること
- カトリック信徒への刑罰を廃止すること
チャールズ1世がこの要求を受け入れられなかったのは、国王軍内部でもチャールズ1世の親カトリック政策への批判が強まっていたからである。それどころか、国王軍全権代理オーモンド侯ジェームズ・バトラーは、アイルランド国教会に教会財産を返還することを要求していた。これが同盟内聖職者の激しい反発を招き、しばらく交渉は前進しなかった。
スコットランド・イングランドの侵攻
カトリック勢力がアイルランドを支配したことは、スコットランド・イングランドの警戒を招いた。1646年、スコットランド・イングランド連合軍が攻め込んできたが、オーウェン・ロー・オニールがベンバーブの戦いで同盟を完勝に導いた。これがひとつの材料となり、国王軍との和平交渉が前進のきざしを見せ始めた。しかし条約が締結されるのは1649年になってからであった。
クロムウェルの遠征と虐殺
イングランド内戦で勝利した議会派は、王党派よりもカトリックを敵視していた。これは1641年のアルスター蜂起の報が誇大に伝わってイングランド人の敵愾心を煽っていたこと、イングランド共和国で有力だった独立派など諸セクトは信仰面で国教会よりも急進的であったことなどが理由にあった。
カトリック同盟に対するニューモデル軍の敵意は尋常ならざるもので、1649年から始まったクロムウェルの遠征で酸鼻をきわめる流血が繰り返された。特にゴールウェイ包囲戦はアイルランド人たちの記憶に残り、長きにわたってイングランドへの敵意をつのらせていった。IRAに代表されるようなアイルランド問題は、この時期に端を発したといわれる。