クリシャン・チャンダル
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パンジャーブ地方のワズィーラーバードの出身。父親はヒンドゥー教徒で、カシミールで暮らしたのちにラホールのF・C・カレッジに入学し、パンジャーブ大学で英文学と法学の修士号を取得した。学生運動でベンガル地方に行って農村の現状を知り、パンジャーブ社会党に入党する。学生時代にカレッジの雑誌に短編小説を書き、ラホールの雑誌にも掲載された。その後はデリーやラクナウで仕事につき、ボンベイで映画会社を設立するが倒産し、作家としての道を進む。インド独立運動のなかで設立された進歩主義作家協会に共鳴し、カルカッタ大会にはパンジャーブ代表として参加した。美食家、酒豪としても知られる一方で心臓発作を起こし、4度目の発作がもとで死去する。再婚に際してイスラム教に改宗していたが、葬儀はヒンドゥー教式に行われた。
作品
多作であり、長編小説50作、短編小説は未発表のものを含めると500作を越すとも言われる。カシミールでの体験がもとで自然に対する畏敬の念を持ち続けた。リアリズムの手法を用いてインドの社会問題を接触的に題材とし、インド・パキスタン分離独立の動乱をもとにした短編集『我々は野蛮人だ』や、ベンガルの大飢饉をもとにした『アンヌ・ダーター』などを書いた。