1926年、ニレ立枯病の研究プロジェクトが立ち上げられ、バイスマンはその主要なメンバーの一員となった。彼女は実験林で苗木に病状を再現させることに成功し、病気のメカニズム解明に大きく貢献した。
1929年にCBSを退職した後も、ベルリン=ダーレム植物園で研究を継続した。同年、ジュネーブで開催された国際大学婦人連盟(International Federation of University Women)の会議に出席した際、アメリカの女子大学であるラドクリフ・カレッジの学長、バーニス・クロンクハイトと出会う。この出会いがきっかけとなり、彼女はアメリカ合衆国での研究職を得て、北米でのニレ立枯病研究に従事した。
しかし、バイスマンがアメリカに滞在中もオランダ国内ではニレ立枯病の蔓延が深刻化し、ヨハンナ・ウェスターダイクの要請を受けて1930年に帰国した。帰国後は、オランダの対策委員会に加わり、病害対策に尽力した。彼女はこの疾病に関して数多くの論文を発表し、専門家としての確固たる地位を確立した。特に、何千ものニレの苗木の中からニレ立枯病に耐性を持つ個体を選抜することに成功した功績は大きい。