戦争の初年は小規模な紛争に留まり、反アンティゴノス同盟の方が優勢であった。しかし、前266年になると、プトレマイオス朝からパトロクロスを将軍として艦隊が派遣されたにもかかわらず、アンティゴノス朝の優勢が決定的になっていく。前265年には、コリントス近郊で行われた戦いにおいて小クラテロス率いるアンティゴノス朝が勝利を得て、スパルタ王アレウス1世が戦死。反アンティゴノス同盟の主力であったスパルタ軍が敗北したことで、アテナイ軍は防戦一方になり、城壁に籠りプトレマイオス朝の援軍をひたすら待たざるを得なくなってしまった。プトレマイオス朝の支援は間に合わず、アテナイは攻囲され、前262か前261年に降伏した。
プトレマイオス朝は艦隊を送り込むが、コスの海戦にてアンティゴノス朝艦隊に敗北する。海戦で敗北したプトレマイオス朝は、エーゲ海での影響力を弱める結果となった。こうして、反アンティゴノス同盟は大敗を喫し、アンティゴノス朝のギリシア支配は決定的となった。