ゲオルク・マルクグラーフ
From Wikipedia, the free encyclopedia
ザクセン州のリープシュタットに生まれた。父親は校長でオルガニストであった。ストラスブルク大学などドイツ各地の大学で学び、最終的にオランダのライデン大学で学んだ。オランダ領ブラジルの総督ナッサウ=ジーゲン伯ヨハン・マウリッツのブラジル探検隊の隊員として、博物学者のウイレム・ピソ、画家のフランス・ポスト、アルベルト・エクハウトとともに選ばれた。
3年間にわたって、南緯5度から11度の海岸の海図を造り、グランデ川やサンフランシスコ川を遡り内陸への探検を行った。これらの探検の間に、天文学や植物学の研究を行い、気象の記録を残した。1640年11月3日には、南米大陸で日食の最初の科学的記録を残した。レシフェに動植物園を設けた。
1644年にアンゴラのルアンダで熱病で没した。
没後、マルクグラーフの残した科学的な記録はナッサウ=ジーゲン伯によってヨーロッパに持ち帰られ、一部の鳥類に関するの記録はマルクグラーフを隊員に推薦したデ・レート(Johannes de Laet)に渡り、"Historia Naturalis Brasiliae"(「ブラジルの自然史」)の5版で発表された。マルクグラーフの作成した地図は"Atlas Basiliensis" として出版された。マルクグラーフの標本は博物学者ヴォーム(Villum Worm)を通じて、コペンハーゲン植物研究所に収められた。リンネは1751年にその標本を高く評価した。
ツツジ目の植物の科の名前、マルクグラウィア科(Marcgraviaceae)、属名Marcgraviaはマルクグラーフに因んで命名された。
