コリン・フォークランド・グレイ
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| コリン・フォークランド・グレイ Colin Falkland Gray | |
|---|---|
| 生誕 |
1914年11月9日 ニュージーランド クライストチャーチ |
| 死没 |
1995年8月1日(80歳没) ニュージーランド ワイカナエ |
| 所属組織 |
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| 軍歴 | 1938 - 1961 |
| 最終階級 | 空軍大佐 |
| 戦闘 |
第二次世界大戦 *フランス戦 *バトル・オブ・ブリテン *海峡正面戦 マラヤ動乱 |
コリン・フォークランド・グレイ(Colin Falkland Gray、1914年11月9日 - 1995年8月1日)はイギリス空軍で活躍したニュージーランド人で、第二次世界大戦中のエース・パイロット。第二次大戦中のニュージーランド人パイロットとしてはトップ。最終階級は大佐。RAF認識番号は41844。殊勲章(DSO:Distinguished Service Order)と空軍十字章(DFC:Distinguished Flying Cross)を受章している。
双子のケネス(Kenneth)と共にニュージーランドのクライストチャーチで生まれる。1938年、共にイギリス空軍に入隊したが、ケネスは爆撃機パイロットとして1940年5月1日、飛行中の事故で死亡している。
1939年11月、スピットファイアMkI装備の第54飛行隊に配属。1940年5月25日、スピットファイアMkI(シリアルナンバーN3173)に乗って、連合軍のダンケルク撤退を支援していたグレイ少尉はメッサーシュミットBf109を1機撃墜するが、直後に被弾して機体に大きな損傷を受ける。1940年7月13日には2機目のBf109を撃墜した。その後2ヶ月間にわたるバトル・オブ・ブリテンでの激戦で14機を撃墜した。8月15日には空軍十字章を受章している。一時期第43飛行隊に所属したものの、1941年1月には元の部隊に指揮官として戻った。7月には第1飛行隊指揮官に任命、その一月後に第616飛行隊指揮官となる。1941年9月20日、17機撃墜の功績によって2回目の空軍十字章を受章した。
1942年12月、中東で第81飛行隊を指揮、5機の撃墜を追加して1943年5月13日に2回目の殊勲章を受章している。中佐に昇進後、イタリア侵攻のため第322航空団を率いた。そこで更に5機を撃墜して3回目の空軍十字章を受章した。9月初旬にイギリスに帰国した。
1945年にベティ・クック(Betty Cook)と結婚、2男2女をもうけた。
最終的なスコアは、27機撃墜、協同撃墜2機、不確実撃墜6機、不確実協同撃墜4機、撃破12機であった。
戦後も指揮官や参謀を務め、マラヤ非常事態にも従軍した。1961年、空軍大佐で退役した後ニュージーランドに帰国した。
1990年、自伝『スピットファイア・パトロール(Spitfire Patrol)』を出版。