ゴー・チョクトン
シンガポール第2代首相
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ゴー・チョクトン(英語: Goh Chok Tong、漢字表記:呉作棟、読み:ごさくとう、簡体字: 吴作栋; 繁体字: 吳作棟, 拼音: , 閩南語白話字: Gô͘ Chok-tòng; 1941年5月20日 - )は、シンガポールの政治家。同国の第2代首相(在任:1990年11月 - 2004年8月)。
| ゴー・チョクトン/呉作棟 Goh Chok Tong 吴作栋/吳作棟 | |
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(2008年3月) | |
| 生年月日 | 1941年5月20日(85歳) |
| 出生地 |
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| 出身校 |
シンガポール大学 ウィリアムズ大学 |
| 現職 | 名誉上級相 |
| 所属政党 | 人民行動党 |
| 配偶者 | タン・チューレン |
| 在任期間 | 2004年8月12日 - 2011年5月21日 |
| 大統領 | セッラパン・ラーマナータン |
| 在任期間 | 1990年11月28日 - 2004年8月12日 |
| 大統領 | |
| 在任期間 | 1992年11月 - 2004年12月 |
国会議員 | |
| 選挙区 |
マリン・パレードGRC マリン・パレード (1976年 - 1988年) |
| 在任期間 | 1976年12月23日 - |
概略
経歴
政界入り前・実業家時代
- 1961年 - ラッフルズ・インスティテューション(RI)卒業。
- 1964年 - シンガポール大学(現シンガポール国立大学)を第一級優等学位(経済学)で卒業。シンガポール政府の行政サービス(Administrative Service)に入省。経済計画部門に配属される。
- 1967年 - 米国ウィリアムズ大学へ留学し、開発経済学の修士号を取得。帰国後、政府のエリート官僚として勤務。
- 1969年 - 国営海運会社「ネプチューン・オリエント・ラインズ(NOL)」に出向。企画プロジェクトマネージャーに就任。
- 1973年 - NOLのマネージング・ディレクター(常務取締役)に昇格。当時赤字だった同社を経営手腕により黒字転換させ、リー・クアンユー首相の注目を集める。
政界入り・閣僚時代
- 1976年 - 人民行動党(PAP)より国会議員選挙(マリン・パレード選挙区)に出馬し、初当選(以降、引退まで同選挙区で当選を続ける)。上級国務大臣(財務担当)に任命される。
- 1979年 - 貿易産業大臣に就任。国の経済戦略の立案に関わる。
- 1981年 - 保健大臣に就任(~1982年)。のちのシンガポール医療制度の核となる医療貯蓄制度「メディセーブ(Medisave)」の導入を主導。
- 1982年 - 国防大臣に就任(~1991年まで兼任)。シンガポール軍の近代化と「全面防衛(Total Defence)」概念の普及に尽力。
- 1985年1月 - 第一副首相に就任。リー・クアンユーの後継者として、同世代の閣僚たち(第2世代リーダー)からの互選により選出される。首相業務の代行や、日常的な国政運営の実権を徐々に引き継ぎ始める。
首相在任時代 (1990年 - 2004年)
- 1990年11月28日 - リー・クアンユーの退任に伴い、第2代シンガポール首相に就任。就任演説で「より親切で優しい社会(Kinder, gentler society)」を目指すと宣言。
- 1992年 - 人民行動党(PAP)の書記長(党首)に就任。補欠選挙にて、自身が癌であることを公表していたリー・シェンロン副首相らと共に勝利し、自身のリーダーシップを確立する。
- 1994年 - 物品サービス税(GST、日本の消費税に相当)を導入。所得税への依存度を下げ、税制基盤を安定化させる改革を行う。
- 1997年 - アジア通貨危機が発生。給与カットやCPF(中央積立基金)の拠出率引き下げなど痛みを伴う改革を国民に説き、経済をV字回復へと導く。
- 2003年 - SARS(重症急性呼吸器症候群)の流行に直面。迅速な隔離措置や学校閉鎖などの決断を行い、事態を収束させる。
首相退任後
- 2004年8月 - 首相を辞任し、後任のリー・シェンロン政権下で上級相(Senior Minister)に就任。同時にシンガポール金融管理局(MAS)長官も務める(~2011年)。
- 2011年5月 - 総選挙後、リー・クアンユーと共に閣内から退くことを発表。新設された称号である名誉上級相(Emeritus Senior Minister, ESM)となる。以降、国会議員としての活動に加え、若手政治家の育成や地域外交に専念。
- 2020年6月 - 政界引退を表明。同年の総選挙に出馬せず、44年間の議員生活に幕を下ろした。
現在は、シンガポール国立大学 リー・クアンユー公共政策大学院(LKYSPP) の理事長(Chairman of the Governing Board)として、同校の国際的な地位向上や、次世代のリーダー育成に尽力する。
出典
外部リンク
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 ? |
1977年 - 1979年 |
次代 S. ダナバラン |
| 先代 新設 |
1979年 - 1981年? |
次代 ? |
| 先代 トー・チン・チャイ |
1981年 - 1982年? |
次代 ハウ・ヨン・チュン |
| 先代 ハウ・ヨン・チュン |
1982年 - 1991年 |
次代 ヨー・ニン・ホン |
| 先代 ゴー・ケンシー |
1985年 – 1990年 |
次代 リー・シェンロン |
| 先代 リー・クアンユー |
1990年11月28日 – 2004年8月12日 | |
2004年8月12日 – 2011年 | ||
| シンガポール国会 | ||
| 新設 | 国会議員 マリン・パレード 1976年 - 1988年 |
選挙区廃止 |
| 国会議員 マリン・パレード・グループ選挙区 1988年 – 現在 |
現職 | |
| 党職 | ||
| 先代 リー・クアンユー |
人民行動党書記長 1992年 - 2004年 |
次代 リー・シェンロン |