九州では初の本格的ビールメーカーとして、鈴木商店の支援により設立された[2]。
提携先の鈴木商店の破綻を乗り越え、日本ではシェア第3位をキープした[2]。しかし、太平洋戦争中の1943年に大日本麦酒に統合され、31年の歴史に幕を下ろした[2]。
工場は戦後の大日本麦酒解体に伴ってサッポロビールの門司工場(のちに九州工場)となり、2000年まで稼働した。九州工場の跡地は門司赤煉瓦プレイスとして整備された。その中には帝国麦酒本社事務所を転用した「門司麦酒煉瓦館」や同じくビール工場棟の「帝国麦酒醸造棟」が現存する[2]。