シグエンサ
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 州 | |
|---|---|
| 県 | |
| 面積 | 386.87 km² |
| 標高 | 1005m |
| 人口 | 4,356 人 (2018年) |
| 人口密度 | 11.26 人/km² |
|
北緯41度04分09秒 西経02度38分21秒 / 北緯41.06917度 西経2.63917度座標: 北緯41度04分09秒 西経02度38分21秒 / 北緯41.06917度 西経2.63917度
| |
シグエンサ(スペイン語: Sigüenza)は、スペイン・カスティーリャ=ラ・マンチャ州グアダラハーラ県のムニシピオ(基礎自治体)。県北部に位置し、県都グアダラハーラから73km離れている。
歴史
シグエンサは、かつてケルティベリア人のアレヴァシ族の定住地セゴンティア(Segontia)があった地である。現在、旧市街を意味するビリャビエハ(Villavieja)は、現在のシグエンサ市街から半リーグの場所にある。リウィウスは、ケルティベリア人との大カトの戦いについての論争の中で、この町に触れた。
ローマ帝国、西ゴート王国、ムーア人と、数世紀の間に支配者は移り変わった。シグエンサ司教座の歴史は非常に古く、589年に行われた第三回トレド公会議に代表を送っている。イスラム支配下でもキリスト教徒は信仰が保証され、シグエンサ司教座は絶えなかった。しかし、後にシグエンサから人口が流出し打ち捨てられたらしい。カスティーリャ王アルフォンソ6世がこの地域全体を征服した際、征服した都市の中にシグエンサの名が上がっていないからである。再植民が行われた後の1123年頃、初代シグエンサ司教としてベルナルド・デ・セディラクが着任した。1140年3月10日、アルフォンソ7世はシグエンサ司教を、シグエンサの封建領主とした。その後14世紀まで、シグエンサ司教は小規模な司教公領を保持し続けた。シグエンサは第一次カスティーリャ継承戦争において重要な役割を演じた。1355年、ペドロ1世の王妃ブランカ・デ・ボルボーンがシグエンサ城に幽閉された。
1468年、ペドロ・ゴンサーレス・デ・メンドーサがシグエンサ司教となった。彼はイサベル1世の元で権世を誇った政治家であり、シグエンサ司教座をトレド大司教座と統合した。
スペイン内戦では、フランコ側のグアルディア・シビルが町の最も高い場所にある城を要塞化する一方で、共和軍が低い場所にある大聖堂を確保していた。