彼の名は、その思想の発露である『ラテン語の弁護 Apologie de la langue latine. 』(パリ、1637年)を出版したことによって、(悪い意味で)広く知られることになった。これは60ページほどの小さな本であったが、全くの的外れな著書として当時話題となり、多くの嘲弄を浴びせられることになった。そうした反応の中では、ジル・メナージュが著した風刺詩が特に知られている。彼はほかに『フランス、あるいは完璧な王政 La France, ou la Monarchie parfaite 』なる著作の刊行も予告していたというが、実際に刊行されたかは定かではない。